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◆戦いの果てに◆

written by こっこ

1:予感

◇Rufeir
「あ〜もう! この光景、見飽きちゃったよぉ」
「そんなこと言ったって、しょうがないだろ?」
「そうよ。勝手に出るわけにいかないもん」
 「あの日」の前日、あたしはクラスの三人と校庭のベンチを陣取って、日向ぼっこしていた。
 ここはシエラ学院本校。数あるMeS――Mesinary Schoolの略――の中では、いちばん有名なところだ。あとその成り立ちの関係で、親に見離されたり死別した子を、数多く受け入れてることでも有名だった。
 この学院へ来てから、そろそろ四年になる。
 その前はあたしは、戦場でひたすら戦って育った。当然学校へ行くこともなければ友達もなくて、だからこの親友と言える三人はとても大切だった。
 不満げに騒いでいたのがミル。ちゃんとした名前はミルドレッドだけど、そう呼ぶ人はまずいない。きれいな水色の瞳をしていて、ちょっとオレンジがかったふわふわの髪が、雰囲気によく合っていた。
 なだめていたのがシーモアとナティエス。なんでもこの二人は、学院へ来る前から親友どうしだったのだそう。
 シーモアはあたしたち四人のリーダー格だ。鋭い翠の瞳に、炎のような色の髪。姐御肌だし言葉遣いもぞんざい、行動も豪快だ。
 一方でナティエスの方は、ぱっと見た感じは大人しそうだ。おだやかな鳶色の瞳に、ほんの少しウェーブがかかったダークブラウンの髪。それをいつも髪留めで留めている。
 でもナティエス、シーモアと親友なだけあって、じつはけっこうやることが過激だ。外見に騙されようものなら大変なことになる。
 隣ではまだ、ミルが騒ぎつづけていた。
「だからだからだから、シゲキテキってのないのかな」
「あんただけだよ、ンなこと思うのは」
 けどミルの言うとおり、このところは穏やかだ。
 いろんな理由が重なって学院の外へ出られなくなったことを除けば、ただただ海をながめながら、平穏な毎日だった。
「もうもうもう、つまんなぁい!!」
 耳鳴りがしそうな声がイヤだったのか、シーモアがミルの頭を軽くはたいた。
「黙りなって。ったく三才児じゃないんだから」
「けど、つまんないのはたしかだよね。ここのとこ、町とかにも行かせてもらえないんだもん」
 ナティエスも不満そうだ。
――仕方ない、とは思うけど。
 最近はどうも情勢が不穏だ。このユリアス国の首都イグニールはテロ情報で大騒ぎになったし、第二の都市で学院からいちばん近いケンディクも、どこかの勢力が潜入したとかで戒厳令が敷かれてる。
 こんな状態だから、あたしたち学院の生徒が敷地外へ出るのも、けっこう前から禁止されていた。
 よそのMeSならそれでも脱走とかがあるだろうけど、この学院は小さな群島を丸ごと使って作られてるから、町への連絡船が止められるとどうしようもない。
 さらにここ数日は、校舎と寮のある本島以外への出入りも禁止されて、ほとんど缶詰だった。
「そういえばさ、おととい大きな船来たじゃないか。あれはなんだったんだかね?」
「ユポネ族……来たみたい」
「ルーフェイア、あんたよくそんなこと知ってるね」
 シーモアの不思議そうな顔。
「とゆかさ、ユポネ族ってなに?」
「えっと……物を作るのがすごく上手な一族、かな……」
「なんだそりゃ? まぁいいけどさ」
 なにがいいのか分からないけど、いいことになったみたいだ。
「でもさ、あの船なんかちょっと、変わってたよね」
「言えてる〜」
 たあいない会話。
「けどやっぱりヒマかも」
「ひまひまひまひま、すっっっごいひまっ!」
 あ、ミルが壊れた。
「連呼するんじゃないよ、よけいヒマになる」
 そういうもんだろうか? よく「余計おなかが空く」とか「よけい寒くなる」とは言うけど。
「ひっまーっ!! 誰かなんとかしてーーっ!」
「――明日とか、外出禁止……解けるかも」
「え、ホント?」
 いっせいに三人があたしを見て、つい言ってしまったことに気づいた。
「マジかい?」
「――うん、間違いないと、思う」
 期待しているシーモアたちに、一瞬考えてからそう答える。明日の話だし、シーモアたちが相手なら、必死に隠さなくてもだいじょうぶだと思ったからだ。
「でもルーフェ、どこでそんなこと聞いたの?」
 ナティエスが不思議そうに訊いてくる。
「お昼ご飯の時、ロア先輩といっしょで……その時、聞いたの」
「あ、なるほど。ルーフェイアはロア先輩に可愛がられてたっけね」
 ロア先輩はあたしにとって数少ない、学内で頼れる先輩の一人だった。この学院へ来た時に同室になった縁で、ずっと可愛がってもらっている。
 今この学院は、深刻な人手不足だ。このあいだ学院内で対立があって、副学院長が出てってしまったのだけど、そのとき教官や他のスタッフもごっそり連れて行ってしまった。何かお金がからんでたって噂だ。
 ともかくそのせいで教官の数は足りないし、運営する人も足りなくて、上級生がその穴埋めで奔走している。だから予定も連絡系統もメチャクチャで、「○月×日に何々」というのが、なかなか分からなかった。
 そんな中、ロア先輩はこの学院の運営を手伝っていて、物資の調達とかこまごましたことを引きうけている。だから最新の状況も知っていたのだ。
「そしたら、少し買い物とかできるかな?」
 ナティエスが嬉しそうだ。
「行く行く、ぜ〜ったい行くぅ!」
「わかったから黙りなって」
 シーモアがミルの頭を小突いた。
 いつもの光景。
 なんとなく可笑しくなる。
「そういえばさぁ、シルファ先輩てば『あこがれの先輩ベスト三』に選ばれたんだってね〜」
 こんども唐突に、ミルが妙なことを言い出した。
「なに、それ?」
「……ルーフェイア、ホントに知らないの?」
 いかにも驚いたという顔で、ミルが訊いてくる。
「だから、なに、それ?」
「だから、『あこがれの先輩ベスト三』なの! シルファ先輩は!」
「いつ……決まったの?」
 そんなランキングがあったなんて初耳だ。
――たしかにシルファ先輩には、あたしも憧れるけれど。
 あたしを見て、三人が爆笑する。
「この調子じゃルーフェきっと、自分が『学院の美少女ベスト三』に入ってるのも知らないよね」
「知らないだろうね」
「ルーフェイアらし〜♪」
 勝手に盛りあがられてしまった。
「そんな……変なランキングまで、あるの?」
「これだよ。自覚ないんだから」
 自覚も何も、そんなおかしなランキング自体聞いたことがない。
「どこかに、張り紙……してあった?」
 そう言うとまた爆笑された。
「あんたね、そのランキングでトップだったんだよ」
「え?」
 これも初耳だ。
 それにしてもあたしなんて小柄で華奢で、どこがいいんだろう?。
 ただみんなの感想は違うみたいだった。
「ルーフェイア、とびっきりの美少女だもんね〜♪」
「どこが……?」
「どこがって、全部!」
 半分ヤケになったような口調で、ナティエスが断言する。
「けどこの髪、前線で目立つし……あたし小柄だから、バトルで不利だし……」
 小柄ゆえのパワー不足も気に入らないけど、髪なんて目に飛び込む金色で、「見つけてください」って言うようなものだ。
 ひとつだけ海色の瞳は気に入ってるけど、戦場じゃ意味がない。瞳の色なんて関係なくて、どれだけ戦えるかですべて決まる
「あ〜もう! どうしてこうズレてんのかな〜」
「まぁ、あんたらしいけどさ」
 よく分からないけれど、ひどいことを言われたような気がした。
 世の中ってやっぱり謎だと思いながら、なんとなく辺りを見渡す。
「――あ」
 視界に見慣れた姿が入った。
「うん? ルーフェイアってばどしたの? あ〜♪」
 ミルが悪戯っぽい調子になる。
「あ、やだ、ミル止めて。あの先輩たち、そういうのは……」
 でも遅かった。
 耳に突き刺さるような声が響く。
「せんぱ〜い、タシュア先輩〜、シルファ先輩〜、こんにちは〜〜!!」
 校庭へ出て来た男女の先輩が、大声に振り向いた。あたしがこの学院へ来て、いちばんお世話になっている先輩たちだ。
 男性の方はタシュア先輩。長身で整った顔立ちで、縁のない眼鏡をかけてる。
 瞳は紅で髪は銀。それを長く伸ばして三つ編みにして、しかも前髪をひと房紅く染めてるから、目立つなんてもんじゃない。
 ただこの先輩、見た目より「毒舌」で有名だった。言葉遣いはとても丁寧だけど、その内容がすごく苛烈だ。
――本当は優しいんだけどな。
 けどあたしがこう言うと、大抵の人は固まってしまう。
 女性のほうは、さっき話題にあがったシルファ先輩。けっこう長身で、かなり背丈のあるタシュア先輩と並んでも、バランスがとれている。瞳は紫水晶のような澄んだ色、背中まであるつややかな黒の髪をいつもストレートにおろしていて、落ちついた雰囲気だった。あとどういうわけか、しょっちゅう女子から告白されるらしい。
 ちなみにタシュア先輩が言うには「同格のパートナー」らしいけれど、生徒の間では「タシュア先輩の恋人」で通っている。
 それと意外なことにシルファ先輩、男子の間では「無口で愛想がないから可愛げがない」と言われてるそうだ。イマドがそう教えてくれた。
――たしかにあんまりおしゃべりじゃないけど、とっても面倒見がよくて、お姉さんみたいな感じなのに。
 男子の考える事はよく分からない。
「先輩、せんぱぁ〜い! こっちどうですか〜〜♪」
 気が付くとミル、ぶんぶん手を振っている。
「やれやれ……そんなに大きな声を出さずとも聞こえますよ。もう少し周囲の迷惑を考えなさい」
 呆れた調子でタシュア先輩が言った。でもちゃんとこっちへ来てくれたあたり、今日はいいことでもあったのかもしれない。
――それにしても周囲の迷惑って、あたしたちしかいないような?
 もっともそれ以前に、この調子でタシュア先輩に声をかけるミルのほうが、何倍もすごいのだけど。
「それでいったい、何の用なのですか?」
 いつもどおりのどこか冷たい声で、タシュア先輩が続けた。
 そして騒ぎの主のミルは。
「日向ぼっこしません?」
「………」
 思わずみんなで絶句する。タシュア先輩をこういう理由で誘った人は、きっと彼女が初めてのはずだ。
 でも次は、もっと予想外だった。
「そうですね。大事の前の平安なれ、とも言いますからね。たまにはゆっくりするのもいいでしょう」
 絶対なにか毒舌が返ってくると思ったのに、タシュア先輩はそう言って、シルファ先輩と並んでベンチへ腰を下ろす。
 見やるとシーモアもナティエスも見事なくらいに石化していて、平気なのはミルひとりだ。
「ですよね〜。ゆっくりしないと、腐っちゃうもん♪」
 ゆっくりしすぎたほうが、腐る気がするんだけど……。
 なんかめまいがしてくる。
 けど本当に、穏やかな昼下がりだった。
 優しい陽光。
 流れる潮風。
 碧い水平線の上には、大気に揺らめく連惑星が浮かんでいる。
 いつもの光景。
――ずっとこうしていたいな。
 みんなも同じことを思ってるんだろうか? 誰も――あのミルでさえ――何も言わずに、ただ座るだけだった。
「そうだ! なんか食ーべよっと♪」
 前言撤回。
「あんたねぇ、どうしてそうむやみやたらと騒ぎたてんのさ」
 シーモアがまたミルの頭を小突く。
「え〜、だってだって、食べたいんだもん☆」
「たしかに、おなかが空きましたかね?」
「え?」
 タシュア先輩が会話に割りこんできて、またみんなで呆然とした。
――そろそろおやつの時間と言えば、そうなんだけど。
「やぁん先輩、話わかるぅ。あ、これどーぞ♪」
 半分意味不明のことを言いながら、ミルがどこからかクッキーを取り出して差し出した。
「おや、ありがとうございます」
 しかも先輩も、しっかり手を出している。
――どうなっちゃってるんだろう?
 なんだか夢でも見ているみたいだ。
 和やかと言えば和やかだけど、ちょっといつもからだと考えつかない光景だった。
「私も……何か作るか」
 それまで黙っていたシルファ先輩が、ぼそりと言う。
「わぁ、ほんとですか?」
 ナティエスが聞きつけて、嬉しそうな声をあげた。
 じつはシルファ先輩、お菓子をつくるのがとても上手だ。特にケーキなんて言うと、下手な店で買ってくるよりもずっと美味しい。
「ああ。
 ただ……最近ちょっと、材料が手に入らないから……」
「あ!」
 この言葉に大事なことを思い出す。
「先輩、材料あるんです」
「本当か?」
 シルファ先輩が驚いた。
「はい。ただその……条件付き、なんですけど」
「条件?」
 条件というのは、ロア先輩へのおすそわけだ。
 教官の半数以上がいなくなってからは、物資の調達もけっこう大変な問題だった。教官が業者と癒着してたせいで他にルートがないうえ、最寄りのケンディクはあのとおり戒厳令だ。
 だから最低限の食料と生活用品を確保するのが精一杯で、とても嗜好品にまで手が回らないらしい。
 でもロア先輩、あたしが前に言ってたのを覚えててくれて、たまたま余った小麦粉なんかを取っといてくれたのだ。
「で、『あたしにも食べさせてね』って言われたんです」
「なるほど……」
「裏取引にしか思えませんがね」
 しばらくぶりに、タシュア先輩が毒舌になった。
 もっともタシュア先輩とロア先輩が犬猿の仲(正確に言うとロア先輩が一方的に嫌ってる)なのはけっこう知られてるから、そうなっても当然かもしれない。
「ねぇねぇ、そしたらさ、みんなでつくろーよ♪」
 ミルが妙なことを言い出す。
「え、そんなことしたら……先輩に迷惑……」
「私は別に構わないが。
――また、みんなで作るか?」
「やたっ!!」
「けど、本当に……いいんですか?」
 ミルは跳び上がって喜んでるけど、ちょっと心配になってそう尋ねた。
 シルファ先輩はもう手慣れてるから、あたしたちが下手に手伝ったりしたら、やっぱり邪魔じゃないだろうか。
「大丈夫だ。それに一緒にやれば、たくさん作れるだろう?」
「でも……」
 迷惑な気がして、行く気になれない。
「気にしなくていい。ルーフェイアもだいぶ、上手くなっているんだし」
 言いながらシルファ先輩が立ち上がる。
「だいいち急いで作らないと、夜になってしまうぞ?」
「あ……」
 先輩が作っているのを見て初めて知ったのだけれど、ケーキって出来上がるまでに意外と時間がかかる。
 シーモアやナティエス、ミルも立ち上がった。
「あたしこないだ先輩にもらったレシピ、持ってこようかな?」
「本家本元がいるんだ。聞いた方が早いと思うけどね?」
「あ、そっか」
 指摘されたナティエスが苦笑する。
「よぉし、いっぱいつくるぞ〜」
 ミルがやけに張り切る。
「作るのでしたら早くしてもらえませんかね? 夕食代わりというのは願い下げです」
 タシュア先輩もしっかり食べる気でいるらしい。
「ほらルーフェ、行こ?」
「うん」
 あたしたちみんなで、調理室へ向かった。

 そして翌日――つまり、「あの日」。
 あたしはなにか不安でしょうがなかった。
 どう表現したらいいんだろう? あの戦場にいた頃よく感じていた感覚が、嫌な重さで周囲に澱んでる感じだ。
――何かが来る。
 そうその感覚が告げている。
 同室のナティエスは今日は何かの当番だとかで、朝からいない。だから部屋にひとり残ったまま、あたしはこの感覚をずっともてあましていた。
 不安の正体がわからないまま、なんとなく戦闘用の服を着込む。
 見た目は薄手のボディースーツとショートパンツの組み合わせだ。どちらも特殊素材で作られていて、ナイフ程度なら受けつけない。それに防御の魔法も一応付与されているから、これだけでそれなりの守りになる。
 これを専用のアンダーの上に重ね着した。
 さらにいつもの靴とハイソックスをやめて、戦闘用に加工されているロングブーツに履き替える。
 なのにそれでも落ちつかない。
 これはそうとうのものが来るのかもしれない。そう思うとよけいに嫌な感じだった。
 戦闘服の上に今度は制服を着て、とりあえず寮の部屋を出る。
――タシュア先輩を探そう。
 あの先輩はあたしと同じで戦場で育っている。だからもしこの感覚が本物なら、あの先輩も同じことを感じているはずだ。
 太刀――いつも携帯している半端なものではなく、銘入り――を手に、あたしは先輩がよくいる図書館へと急いだ。

>Sylpha
 私はタシュアを探していた。
 もっともそれほど重要な用事があるわけではない。単に手合わせをしてもらおうと思っただけだ。
 ここのところケンディクへ渡ることはもちろん、学院の校舎がある本島以外へ行くことまで、禁止されている。そのせいで野外へ本格的な訓練にでることもできないうえ、上級傭兵隊としての任務もこれといってない。
 だから身体がなまった気がしてしかたなく、彼に訓練の相手をしてもらおうかと思ったのだ。
 なにしろタシュアは強い。多分この学院内でトップだろう。
 ただその強さを見せることは皆無と言ってよく、知っているのは当人と私、それにそういうことに聡いルーフェイア等、両手で足りる程度だった。
 まず図書館へ足を向ける。ここがタシュアの居場所としては一番確率が高い。
 だが中をひととおり見回しても、姿はなかった。
 その代わりにと言ってはなんだが、別の見慣れた姿をみつける。金髪碧眼、妖精のような雰囲気の美少女――ルーフェイアだ。
「あ、シルファ先輩♪」
 向こうから先に声をかけてきて、そばへと来る。タシュアと同じように戦場で育っているだけあって、その動きはまったく気配を感じさせなかった。
 女子な上に小柄で華奢というハンデがあるが、この子も強い。タシュアにはさすがに及ばないが、ここへ来た十歳当時から、並みの上級傭兵隊を上回る実力の持ち主なのだ。
「あの、タシュア先輩……知りませんか?」
 外見どおりの、澄んだ声で尋ねてくる。
「タシュアか? 私も探しているんだ」
 戦場で育ったというわりに素直なこの子は、私やタシュアによく懐いていた。
 まとわりつく様子がヒヨコのようで、可愛い。
「シルファ先輩が知らないんじゃ……どこ行っちゃったんでしょう?」
「たぶん、寮の自室だろう」
 あと思い当たるのは、せいぜい食堂ぐらいだ。
――そう言えば。
 食堂で思い出す。食べることだけは忘れないタシュアなのに、今日は朝食時にも見なかった。
 急に心配になる。
「まさか、具合でも悪いんじゃ……」
「タシュア先輩が、具合悪いって……ちょっと想像、つかないんですけど……」
「だが、万が一ということもあるだろうし。いっしょに行くか?」
 この子もタシュアを探していたのを思い出して、訊ねる。だいいちルーフェイアひとりでは、タシュアの自室まで行けないだろう。
「あ、はい」
 少女が嬉しそうな顔をした。
 並んで歩き出す。
 こうして並んでみると、この子は本当に小柄だ。もう十四歳にもなるというのに、私の肩まで届かない。体型もまだどちらかと言えば子供だった。
 もっともこの二、三年はかなり伸びているようだから、最終的にはそれなりになるのだろうが。
「ですけど……自室にこもってるなんて、珍しいですよね?」
「たしかにタシュアは図書館にいることが多いが……それほど珍しくはないな」
 この子がよく目にする放課後、彼もたいてい図書館にいるだけだ。授業をサボって自室にいることも、実はよくある。
 それにしても、この子も面白い。
 タシュアは人を寄せつけなかった。だから私はともかく、ルーフェイアがこうして傍にまとわりつけること自体が、かなり異例といえるのだ。
 それだけタシュアも、この子を可愛いとは思っているのだろう。
――よく泣かしてはいるが。
 いじめ癖のあるタシュアにとって、素直でなんでも真に受けるルーフェイアは、かっこうのオモチャらしい。
 しかもルーフェイアが信じられないほど繊細で、ちょっとしたことで泣き出してしまうものだから、よけいに面白がっていじめるのだ。
 まぁそれなりに厳しいことを言ったり時たま助言をしたりと、面倒もみてはいるのだが。
 ともかく行った先でも気をつけてやらないと、また泣かされるだろう。
「あの……男子寮なんてあたし、初めてで……」
 どこか不安げな調子で、ルーフェイアが小さく言う。
「本当か?」
 これは意外だった。
 他のところは知らないが、この学院はそれほど規律は厳しくない。消灯時間前ならば、それほど咎められることもないのだ。
「イマドの部屋も……行ったことがないのか?」
「はい」
 ただ、ルーフェイアらしくもある。
 イマドというのは、ルーフェイアと同じクラスの男子だ。なんでも戦場にいたこの子が学院へ来るきっかけを、彼が作ったのだという。
 そのせいなのだろう、よくいっしょにいて仲がいい。
 ただルーフェイア、何と言うか恋心や何かを、どこかへ落としてきたようだ。それでどうにも進展せず、ずっと仲良しのままだった。
――イマドも大変な相手を選んだな。
 思わず可笑しくなる。
 幸いイマドの方がそのあたりをよく分かっていて、それなりに二人で上手くやってはいるのだが。
「先輩、あたし……なにか変なこと、言いましたか?」
 つい笑ってしまった私に気が付いて、ルーフェイアが不思議そうに尋ねてきた。
「あ、いや、なんでもないんだ」
 慌ててそう言い訳する。
 男子寮二階の一番奥、そこがタシュアの部屋だった。
「シルファ先輩と、ちょうど反対側ですね」
「そうだな」
 言いながら部屋のドアをノックしようとすると、先に中から声がかかる。
「どうぞ。開いていますよ」
 いつもと変わらない声。どうやら杞憂ですんだようだ。
「私だ。入るぞ……」
 一言断ってからドアを開ける。
 部屋の中に入って最初に目に入ったのは、脱いでいるタシュアだった。
 上半身がさらけ出されている。
「きゃぁぁっ!!」
 間髪入れずにルーフェイアの悲鳴が響き渡った。どうも刺激が強すぎたらしい。
「着替えているところですけどね」
「……そういうことは、入る前に言ってくれないか」
 よほど驚いたのだろう。しがみついてきた少女をなだめながら、苦情を申し立てる。
 もっとも言うだけムダという気もした。
 気配を読み取るのが上手いタシュアだ。私と一緒にルーフェイアがいることなど最初から分かっていて、わざとやったに違いない。
「別段、驚くようなことではないと思いますがね?」
「だがルーフェイアは、まだ子供なのだから……」
「では、シルファは大人というわけですか」
 答えに詰まる。
 見ればタシュアは、意地の悪い笑みを浮かべていた。
 下手に何か言おう物ならまた突っ込まれるだろうと、そのまま口をつぐむ。
――それにしても。
 一切の無駄のない、隅々まで鍛えられた身体。
 いつ見ても思う。美しく磨ぎ上げられた剣のようだと。
 激戦地にいた名残なのだろう、その刀身とも言うべき彼の身体には、あちこちに鈍い傷痕が刻まれていた。
 だが、それらが刃の輝きを損なうことはない。むしろ日を重ねるにつれ、鋭さを増している。
「何をそんなに見ているのですか?」
「え? あ、いや……」
 また答えに詰まる。
 そして気が付いた。
 タシュアが手にしているのは私の実家――武器商としてはかなりの老舗――で開発した、防刃繊維で織られた戦闘用の服だ。
「タシュア……何か、あるのか?」
 彼がこれを着たのは、今までに一度しかない。
「じきに分かります」
 そう言って彼は戦闘服を無造作に着ると、今度は漆黒の両手剣、ラスニールを手にした。
 身長ほどもあろう剣を一息で抜いて、その状態を確認する。
 ラスニールはタシュアがメインとしてる武器だ。ただそれを実際に使用することは少なく、私も片手で数えるほどしか見たことがない。
 それをあえて手にしているというのは……。
「やっぱり……先輩もなんですね?」
 タシュアが服を着たのでやっと落ちついたのだろう、顔を上げたルーフェイアが、厳しい雰囲気で言った。
 驚いてこの少女を改めて見る。
 今まで気付かなかったものが目に入って、背筋が寒くなった。
「ルーフェイア、その中に着ているのは、まさか……」
「はい」
 この子も制服の下は戦闘用の装備だ。それに手にしているのも、滅多なことでは出さない銘入りの方の太刀だった。
 タシュアとルーフェイア。
 時と場所こそ違うが、戦場の最前線で育った二人。
 この二人が、同時に同じものを感じ取っている。
「一体、何があるというんだ……?」
「――先輩、いろいろ出せるだけ出した方がいいですよね?」
 私の質問には答えず、どこか諦めたような調子でルーフェイアがタシュアに尋ねた。
「あって困るものではないでしょうね。もっとも戦闘の邪魔になるようでは、本末転倒ですが」
 二人のやりとりは、明らかに激戦を想定したものだ。
 どうにも落ちつかなくなる。
「だからタシュア、いったい何が……」
 そこへ、緊急事態を知らせる鐘が鳴った。

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