Library


◆戦いの果てに◆

written by こっこ

7:勝敗

>Tasha Side
 負傷者の集められたホールは、とても治療をする場所には見えなかった。
 薬も機材も、それどころか寝かせるためのマットさえ足りない。
「タシュア……その、大丈夫か?」
「私はなんでもありませんよ」
 パートナーとそんな会話をしながら、立て続けに魔法をかけていく。
 だが死んでいく者も多かった。
 運び込まれる者。
 運び出される者。
 生と死が交錯する。
 その中で黙々とタシュアたちは作業を続けた。
 できる限りの応急手当をし、使えるだけの魔法を使い……。
 ただその魔法も、十分なほどにはかけてやることができない。なにしろ負傷者の数が多すぎるのだ。
 この設備ではとても対応しきれなかった。
 と、タシュアの姿を認めたのだろう。ロアが険しい表情で詰め寄ってきた。
「ちょっとタシュア、聞きたいことがあるんだけど?」
「今はそれどころではないでしょう。怪我人の治療がなにより先決です。そんなこともわからないのですか?」
「その怪我人がでたの、誰の責任よ!」
 彼女の声はいつになく厳しい。
「キミ、海岸の部隊のはずなのにいなかったっていうじゃない。
 いったいどこ行ってたのよ! キミがいれば、助かった人間もかなりいたはずよ!」
「………」
 タシュアは答えなかった。答えるつもりもなかった。
 言ったところでどうなることでもないのだ。
「言えないってわけ?」
 ロアの声がもう一段荒くなる。
 真っ直ぐな性格のロアは、自分本位に振舞うことの多いタシュアをかなり嫌っていた。
 そこへこの騒ぎだ。
 穏やかになどいくわけもない。
「それとも何? 普段は偉そうなことを言ってるのに、いざ実践となったら怖じ気ついたとでも言うの?」
「そんなことないです!」
 とっさにそう叫んだのはルーフェイアだ。
「それにあの鳥たちを最初に落として、戦局を変えたの、タシュア先輩です!」
 必死に少女がタシュアをかばう。
「そうかもしれないけど、それとこれとは別でしょ。
 だいたいがタシュア、あんたいつも好き勝手に――」
 瞬間、乾いた音がホールに響いた。
「シルファ先輩……?」
 頬を押さえるロアの前に、シルファが立ちはだかっている。
 事実を知らずに言いつのる後輩に、彼女が平手打ちを食らわせたのだ。
「それ以上タシュアを侮辱することは、私が許さない」
 普段は物静かなシルファが、怒りをあらわにしていた。
「タシュアは年少組のことを考えて、教室に回ったんだ。
 それだけじゃない。教室にいた年少組が安全な場所へ避難するまで、ずっとひとりで守り抜いていたんだぞ!」
「え……?」
 驚いたロアからは怒りの表情が消えたが、それでもシルファはおさまらなかった。
「何よりタシュアは自分の弟を――」
「シルファ!」
 タシュアが鋭く制止する。
「だが!」
 それでも何か言おうとするシルファに、タシュアはかすかに首を振った。
 これは……学院とは無関係のことなのだ。
 そしてロアのほうに視線を向ける。
「言い訳をするつもりはありません。ですが今やらなくてもいいでしょう。
――手当てが先です」
「――分かった」
 ロアもそれ以上追求することなく、怪我人の手当てへと戻る。
 彼女の怒りの原因を、タシュアは分かっていた。海岸へ回った彼女の同級生――いちおうタシュアの同級生でもある――が、何人も死んでいるのだ。
 そのやり場のない思いが、こちらへ向いたのだろう。
(――はた迷惑ですがね)
 だがそれも、仕方がないのかもしれない。
 誰もが疲れ、苛立っていた。
 最後の戦闘で船着場が破壊されたため、本土へ船が出せない。イマドが再び門を通って――彼は無傷で通れる――助けを求めに行ったようだが、それもすぐには来ないだろう。
 薬も既に底をついている。個人が持っていたものさえも使い切ってしまい、もう頼りは魔法だけだ。
 もちろん魔法を使える者は総動員されている。特に精霊持ちの上級生たちは、魔力も強いためずっと休みなしだ。
 だがそれでも……間に合わない。
「あ……」
 隣にいたルーフェイアが、立ち上がりかけて膝をついた。
 この少女も魔力が並外れて高いため、戦闘終了直後からずっと魔法を使いつづけている。
 だがこの子はまだ十四歳だ。しかも女子で小柄な上に、戦闘開始直後から最前線で死闘を繰り広げていたのだ。
 もう体力の限界など、とうに超えているはずだった。
「ルーフェイア、あと少しです。頑張りなさい」
 タシュアが声をかける。
 休ませてやるべきなのは百も承知だ。だがそれさえ出来ないほど、状況は追い詰められていた。
「はい」
 少女も戦場で育っただけあって、事態を良く理解しているのだろう。気丈に返事を返して手当てを続ける。
(これでどこが――勝ったと言うのでしょうね?)
 勝利の歓喜など欠片もない。
 あるのはただ……空虚さとうめき声と、死。
 終わらない悪夢の中を、学院はさまよい続けていた。

>Rufeir
「もうこれでいいから。みんなご苦労さま」
 そうムアカ先生が言ったのは、もう時間も分からないほど手当てを続けた後だった。
「後はこっちで引き受けるから。あなたたちはもう、部屋へ帰って休みなさい」
「はい……」
 最後の回復魔法をかけ終えて、あたしは立ち上がった。
 ふらつく足元に力を入れて、どうにか歩き出す。
 頭が痛かった。それに吐き気がする。疲労が限界を超えているせいだろう。
「ルーフェイア、大丈夫か?」
 見かねたのか、シルファ先輩が声をかけてくれた。
「はい、大丈夫……です」
 やっとそれだけ答える。
 本当はここへ倒れてしまいたかった。でもそんなことをしたら、治療の邪魔になってしまう。
 出口までがひどく遠い。
「あ……」
 また足元がふらついて、手から太刀がすべり落ちる。
 態勢を立て直せない。
――倒れる。
 そう思ったとき、誰かがあたしの身体を支えた。
「シルファ、私とルーフェイアの武器を持ってくれませんか? 私はこの子を連れて行きますから」
 タシュア先輩が言いながら、あたしを抱き上げてくれる。
「すみません……」
 それだけ言うのが精一杯だった。
 意識が遠のく。
 必死に繋ぎとめようとしたけど、どうすることも出来なかった。

>Sylpha
 やりきれなかった。
 たしかに命令を無視したのは事実だ。だがそうしなかったら、低学年の被害はこの程度では済まなかっただろう。
 タシュアは……すべきことをしたのだ。
 弟をその手にかけてまで子供たちを守った彼を、誰が非難できるというのか。
 だが、タシュアは言わない。
 いつもそうなのだ。
 そうして周囲は勝手な憶測で誤解して……。
「もうこれでいいから。みんなご苦労さま」
 ムアカ先生の言葉で、はっと現実に帰る。
「後はこっちで引き受けるから。あなたたちはもう、部屋へ帰って休みなさい」
 それを聞いてほっとする。
――やっと休める。
 身体がひどく重かった。
 すぐ向こうでもルーフェイアが立ち上がったが、かなり辛そうだ。
 今にも倒れそうに見える。
「ルーフェイア、大丈夫か?」
「はい、大丈夫……です」
 そういう声にも、まったく力がない。
 無理もなかった。華奢な上にずっと最前線に身を置き、そのあとも休みなしで手当てに奔走していたのだ。
 むしろよく頑張ったと言うべきだろう。
「あ……」
 そのルーフェイアがよろけ、太刀が音を立てて落ちた。
 とっさに手を伸ばす。
 だがそれよりも早く、タシュアがこの子を支えた。
「シルファ、私とルーフェイアの武器を持ってくれませんか? 私はこの子を連れて行きますから」
「わかった」
 ルーフェイアの太刀を拾い、タシュアの大剣を受け取る。
 少女をタシュアが抱き上げた。
「すみま……せ……」
 それだけ言うと、この子が目を閉じる。
「大丈夫なのか?」
「気を失っただけでしょう。休ませれば回復するはずです」
 言いながらタシュアが歩き出す。
 私も慌てて後に続いた。
 静まり返った館内。
――墓場のようだな。
 不意にそんなことを思って頭を振る。
 ここはそんな場所ではない。
 そう自分に言い聞かせるが、あまり効果はなかった。
 焼け焦げ。遺体。血の跡。
 時折すれ違う生徒も疲れ切って生気がなく、どこか亡霊を思わせる。
 早く部屋へ戻りたかった。
 平穏さを残してる場所へ。
 血の臭いのしない場所へ。
 だから惨劇の跡がない寮へ来たときは、心底ほっとした。ここは生徒がいなかったせいで、ほとんど被害を受けていない。
 まず三階へ上がり、ルーフェイアの部屋へと向かう。
「いけない、鍵が……」
 手が塞がっているタシュアの代わりにドアを開けようとして、気が付く。
「ルーフェイア、起きてもらえますか? 部屋を開けますから鍵を貸してください」
「……え? あ、はい……」
 タシュアに起こされたルーフェイアが、鍵を差し出した。だがぼうっとしていて、またすぐに眠ってしまいそうだ。
 受けとって急いでドアを開ける。
 寝室まで入ったタシュアが、一旦この子を椅子にかけさせた。
「シルファ、クローゼットからこの子の着替えをなにか、出してやってもらえませんか?
 ルーフェイア、辛いでしょうが服だけは着替えなさい。返り血を浴びたままではベッドに入れませんよ」
 ぼんやりとルーフェイアが目を開ける。見ていても可哀想なくらいに疲れ切っていた。
「タシュア、私が着替えさせるから」
「では私は向こうにいます」
 タシュアが隣の部屋――二人部屋の共用部分――へ出ていったのをたしかめて、この子を清潔な服に着替えさせる。それからタオルを濡らし、顔や手足を拭いてやると、汚れと返り血とでタオルが赤黒く染まった。
 きれいになったこの子をベッドへ移して毛布をかけたが、身動きひとつせず眠ったままだ。
 きっと、辛かっただろう。
 だがそれでも、ルーフェイアは一言も弱音を吐かなかった。繊細で泣き虫だが、こういうところは気丈だ。
 頭をそっと撫でてから、私も共用スペースのほうへ移動した。
「――タシュアは大丈夫なのか?」
 心配になって尋ねる。
 私やルーフェイアほどではないにしろ、タシュアも疲れているはずだ。
「私も完全とは言い難いですね。普段の六〜七割程度です。まぁ、二、三日もすれば回復しますが」 
 言いながらタシュアが、ルーフェイアの太刀を手に取って手入れを始めた。
「放っておいたら傷みますからね。かといって今のルーフェイアでは、やれと言っても無理でしょうし」
 それは同感だった。
 当人は必死なだけだったのだろうが、ルーフェイアの働きは間違いなく学年一だろう。全校生徒の中でも、上級生を差し置いて上位に入るはずだ。
 だがそのせいで、限界以上に疲れ切ってしまっている。
「かなり疲れているみたいだ。今も……身動きさえしなかった」
「そうでしょうね」
 それだけ言って手入れを続けるタシュアの隣に、腰を下ろす。
「タシュア……さっきは、その、すまない……」
「なんのことですか?」
「いや、つい兄弟のことを……」
 タシュアは自分のことを知られるのが嫌いだ。なのにとっさとはいえ、思わず口を滑らせてしまった。
 だが落ちこむ私に、タシュアが僅かに微笑む。
「かまいませんよ。私の方こそかばってもらって、ありがとうございます」
――他の誰もが見たことのない表情。
 冷酷、毒舌で通っているタシュアがこんなことを言うなど、他の生徒には想像さえ出来ないだろう。
「今度から、もっと気をつけるから……」
「ですから、気にしないでください。
――それにしても幸運でしたね」
 とっさに意味が掴めない。 
「その、何が幸運だったんだ?」
「向こうの戦力があれだけだったことと、脅しがよく効いたことですよ。
 もし私ならそんなものは無視して、今のこの時を狙って軍を再編し、急襲しますね」
 さらりとタシュアが言う。
「慣れない戦闘が終わり、ほとんどの生徒が疲れ切って気が抜けています。余力のあった生徒も、怪我人の治療に奔走しているわけですし。
――間違いなく殲滅できますよ」
「……たしかにそうだな」
 言われて初めて、たしかに幸運だったことに気付く。
 先ほどの猛攻はどうにか凌いだが、ルーフェイアはあの通り動く気力さえ残っていない。私もそうとう疲れているし、タシュアでさえ本調子ではないのだ。
 当然だが、他の上級傭兵隊も似たり寄ったりだろう。
「タシュアが……向こうにいなくてよかった」
 そう言うと当人が笑った。
「さて、これでいいですかね」
 ざっと手入れした太刀を、タシュアが鞘に収める。
 彼が倒れた後輩の武器まで面倒をみるなど、知らない人間には信じられないだろう。そう思うと可笑しくなる。
「なにが可笑しいのですか?」
「いや……なんでもないんだ」
――だが、だからこそルーフェイアがまとわりつくのだろうな。 
 あの子は私と同じように、タシュアの本当の姿を知っている。人を寄せつけない外見の奥にあるものを。
 そして思い出した。
「そうだ、タシュア、これを……」
 預かっていた眼鏡を差し出す。
「ありがとうございます」
 タシュアが静かに受け取って、いつもどおりに眼鏡をかけた。
「やっぱり……少し、違うな」
「何がですか」
「その、眼鏡をかけていた方が……少し柔らかい気がする」
 本当はもう少し違う言葉のような気もするが、これ以外に思いつかなかった。
「そうですか?
――そうかもしれませんね」
 言いながらタシュアが僅かに視線を落とした。なにかを思い出しているのかもしれない。
 と、彼が立ち上がった。
「部屋へ戻りましょう。これ以上ここにいても、仕方ありませんからね」
「そうだな」
 ルーフェイアを起こさないように、そっとドアを閉めて廊下へ出た。
 そして歩き出す。
「タシュア……」
「なんですか?」
 一瞬だけためらう。
「その、今夜は……一緒にいてくれないか?」
 ひとりでいるのが心細かった。
 たぶん私も参っていたのだろう。
「すみません。今夜はひとりにさせてもらえませんか」
 だが意外にも、タシュアが断る。
 こんなことは初めてだった。
「タシュア……?」
 思わず彼の顔を見て、どきりとする。
 そうか……。
 今日何があったのかが思い出された。
「すまない、気が利かなくて……」
「いいえ、私こそ勝手なことを言ってすみません。
――また明日にでも」
 消えてしまいそうな後ろ姿。
――そうやってまた、自分を責めるのだな。
 なにも言えない自分が悔しかった。
 タシュアはいつもそうなのだ。
 なにもかも自分ひとりで抱え込んで……。
 虚しい思いを抱いたまま、私も自室へと戻った。

>Imad
 ひととおり事後の騒ぎが済んだあと、俺は自室でぶっ倒れてた。
――頭痛てぇ。
 限界まで魔力を使い切っちまったのと、何度も門を通って往復したってのもあるけど、それ以上にまだ終わらない精神攻撃がキビしい。
 今夜ひと晩聞いてたら、ぜったいどうかなるってヤツだ。
 と、ドアがノックされた。
「すまない、僕だ」
「セヴェリーグ先輩?
――今開けますから」
 急いでドアまで移動して、鍵を開ける。
――動くと吐き気しやがんの。
 かなり重症だ。
 ただ先輩が来てくれたのは、どっちかってとありがたかった。誰かと話でもしてたほうが、気がまぎれる分ダメージが少なくて済む。
 ドアが開いて先輩が入ってくる。
「――先輩?」
 ひどく落ちこんでるっぽかった。
「しばらくここにいてもいいかな?
 みっともないとは思うんだが……部屋にいられなくてね」
「かまいません。俺もちと、ひとりだじゃ厳しかったんで」
「すまない」
 そう言って先輩が、椅子にかけた。
 底のない悲しみが伝わってくる。
 何があったのか、聞かなくても分かった。
「先輩、飲みます?」
 冷蔵庫に放りこんであった飲みかけの酒を、グラスといっしょに差し出す。
「いや、別に……ああ、きみは分かるんだったな」
「はい」
 まさか、リティーナが死ぬとは……。
 あの子のことは俺もよく知ってる。先輩が学院へ来た五年前はまだ五歳で、半年くらい先輩といっしょに、この部屋で寝起きしてた。
 あたりまえだけど学院への入学資格は六歳以上だから、あん時のリティーナは資格を満たしてない。けど預けられた施設で、ずっと泣きっぱなしの妹を先輩が不憫がって、学院長に頼みこんでここへ引き取った。
 昼間はムアカ先生に面倒を見てもらって、夕方からはよく俺と先輩とで手分けして相手してた。
 なのに……。
「僕は……五人兄弟のいちばん上だったんだ」
 自分に言い聞かせるみてぇに、先輩が言う。
「リティーナとの間に、弟が二人と妹がもう一人いてね。よく騒いで叱られたよ」
「そうだったんですか……」
 初耳だ。
 亡くなった兄弟がいたっぽいのは、まぁうすうす感じてたけど、まさかそんなに亡くしてたとは。
「ロデスティオと隣接する、小さな国にいたんだ。いまはもうないけどね」
 力なく先輩が笑う。
「父はリティーナが産まれる少し前に亡くなったけど、そこそこ裕福な家でね。あんまり苦労はなかった。家族六人、けっこう楽しくやってたよ。
――町が襲われるまでは」
 ある日とつぜん、隣国のロデスティオが攻めてきたと、先輩は言った。
「なんの前触れもなく、町に兵士がなだれこんできてね。家まで踏み込んできたんだよ」
 先輩のイメージが伝わってくる。
 テーブルの上に並べられた夕食。集まってきた兄弟。
――平和な風景。
 けどいきなりドアごしに銃弾が撃ち込まれて、母親が倒れる。
「母に言われて、夢中で裏口から逃げ出したんだ。みんなを連れて。
 ただ子供の足なんて、たかがしれてるだろう? もたもたしてるうちに、町中戦場になっててね」
 それでも必死に、逃げられるだけ逃げたんだっていう。
「けどある場所で、いきなり機銃掃射さ。
 とっさに伏せてしのいだけど……気付いた時には僕と僕が抱いてたリティーナ以外、全員死んでたよ」
 グラスを一気に先輩があおった。
「あとはどこをどう逃げたかもわからない。
 気付いたらリティーナと二人近くの町にいて、運良く誰かが保護してくれたらしくてね。学院への入学手続きなんかもしてくれたらしい。
――もっとも僕も動転してたらしくて、よくは覚えていないんだが」
 また先輩がグラスを空ける。
「来月僕が二十歳になって卒業したら、ここを出て二人で住もうと思ってたんだ……」
 やり切れない思い。
 俺も……何も言えなかった。
 先輩の、いや学院中の嘆きが聞こえる。
 とつぜん命を断ち切られた者の嘆き。
 とつぜん大切なものを失った者の嘆き。
 怒り、苦しみ、戸惑い……さまざまな感情が渦を巻く。
 めまいがした。
「先輩すみません、俺ちょっと、向こうで横になってます。
 帰るの面倒だったら隣の部屋のベッド使ってください。空いてますから」
 それだけ言って、寝室へ引っ込む。
「結局……誰も守れなかった……」
 先輩の背中から悲痛な声が聞こえる。
 いろんなものに、押し潰されそうだった。

 セヴェリーグ先輩は結局酔いつぶれて、隣のベッドに寝た。
 けど、俺の方はそうもいかない。
――やべぇな。
 まだ声が聞こえる。
 戦闘中に比べればマシとはいえ、苦しみと怨嗟の声とがずっと俺には聞こえてる。
 あまりのすごさに眠ることも出来なくて、さすがに参りそうだった。
 実戦自体はまったく初めてってわけじゃない。ただ……これほどに負の感情を浴びたことはなかった。
 本当の「声」なら、ドアを閉めて耳を塞いで、毛布でもかぶってりゃ聞こえないだろう。
 でもこれはそうはいかない。
 心へ直接聞こえてくる嘆きの声は、締め出すことができない。
 ひどい吐き気がする。
   痛い……       熱い…… 
       死にたくない……     助けて……   苦しい……
 終わることなく続く叫び声。
 そこかしこにうずくまる、死んだ連中の影。
 傷つき、血を流し、焼け爛れて……。
 さすがにこれ以上は耐えられそうになかった。
 机の引出しを開けて、錠剤の入った瓶を二つ取り出す。
 片方は精神安定剤。もう片方は睡眠薬。
 以前似たような状況になった時に、見かねてムアカ先生が出してくれたやつだ。
――使いたくねぇんだけどな。
 けどこのままだったら、遅かれ早かれ気が狂うだろう。
 どっちも規定より量を増やして、まとめて口に放りこむ。
 そこまでしてようやく……落ちつかないながらも俺は眠りに落ちた。

>Sylpha
 私は眠れなかった。
 気が昂ぶっていたのか、それとも参っていたのか、自分でもよくわからない。
 どちらにしても落ちつかなくて、部屋を出て食堂へと向かった。
 校舎の廊下までは侵入されて酷いことになっているが、ここは寮と同じく戦闘時は生徒がいなかったために、被害は軽微で済んでいる。
 さすがに営業はしていなかったが、テーブルを使うのはかまわないようだった。
 飲み物を持ってきて、適当なところへ座る。
 こんなところにいる自分が悔しかった。
 タシュアにとって私は、いったい何なのだろうか?
 彼は決して、人に弱みを見せない。
――それが例え私でも。
 そして独りで抱え込んで、乗り越えて行くのだ。
 だがそうなら、私は何のためにいるのだろうか?
 ただそばに……居るというだけではないのか?
 タシュアにはいつも助けられ癒されているのに、私は彼に何か、返しているだろうか?
 それならいったい、なんのために……。
 そうやってめぐる考えを持て余していると、人の気配を感じた。
「あらシルファ、こんなところでどうしたの?」
「ムアカ先生……?」
 いったいどこから持ってきたのだろうか、ワインまで手にしている。
 そしてそのまま厨房へと入っていくと、グラスを二つ手にして戻ってきた。
「一杯、どう?」
「いいんですか……?」
 教官が生徒にアルコールを勧めたなど、聞いたことがない。
「ま、いいわよ。状況が状況だし、あなたもうすぐ卒業だしね。
 だいいちあたしも、独りで飲んでちゃつまらないし」
 言いながらグラスにワインを注ぐと、一つを私へと差し出す。
 受け取ると中で、金色の液体が揺れた。
 思ったより甘めのそれを、一気に飲む。
「――あなたとタシュアのおかげで、年少組の被害が少なくてすんだわ」
 二人してしばらく無言で飲み続けてから、ぽつりと先生がもらした。
「いえ、私は何も……」
 何かしたというのなら、タシュアのほうだろう。
「そんなことはないと思うけど。あなたがきっちり采配振るったから、低学年が無事だったんじゃないの?」
「それは……タシュアが二階に残って、敵を食い止めたから……」
「そう自分を貶めるもんじゃないわ。
 タシュアだって恐らく、あなただから安心して、二階に残れたんだと思う」
 その言葉が、胸に突き刺さった。
――タシュアにとって、私は?
 さっきの問いが再び沸き起こる。
「――どうしたの?」
 私のグラスにまたワインを注ぎながら、先生が尋ねる。
「私は……何もできないから……」
 少し酔っていたのだろうか? ついそんな言葉が口をついた。
「タシュアに頼るばかりで、自分ではなにも……」
 努力はしている。少しでも追いつきたいと、必死に努力はしている。
 だがタシュアはそれ以上で、差が開くばかりだった。
 それを知るたびに自分の無力さを思い知らされるのだ。
「だけどタシュアは、あなたを必要としてるように見えるわよ?」
 その問いにも答えられなかった。
 落ちこんでいたタシュア。
 それなのに私は、かける言葉さえ持たない。
 タシュアはいつだって私を支えてくれるのに、私はこんな時でさえ力になれない。
「私は……タシュアにとって、いったい……」
「しっかりしなさい、シルファ」
 不意に先生が厳しい声を出した。
「あの子は……タシュアは、人を拒絶してる。
 昔、何があったかは知らない。けどあんな風になるんだから、おそらくとんでもないことなんでしょうけど。
 けどシルファ、あなただけでしょ? そんなタシュアに近づくことが出来るのは。
 だったらこんなところで油売ってないでほら、さっさと行って慰めてらっしゃい」
「先生……」
 どうするべきか迷う。
 タシュアはひとりにして欲しいと言っていた。
 なのにそんなところへ押しかけようものなら、嫌われてしまうのではないだろうか?
 他のことはどうでもいい。ただそれだけが怖かった。
 タシュアをなくしたら私は……。
「シルファ=カリクトゥスっ!」
「は、はいっ」
 とつぜん鋭く名前を呼ばれて、思わず反射的に答える。
「あなた、自分とタシュアと、どっちが大事なの!」
「それは……」
 考えるまでもない。
 そして、気がつく。
 自分がなにをすればいいのか。
「先生、ありがとうございます」
 そう言って立ち上がった。
 足元がふらつく。
「大丈夫? あんたずいぶん、飲んだものねぇ。
 ともかく、しっかりやってらっしゃい」
 ムアカ先生に励まされて(?)食堂を出た。
 急に動いたせいか、頭がぼうっとしてくる。
 それでも真っ直ぐ、私はタシュアの部屋へ向かった。

>Tasha Side
 端末の前に腰掛けて、ぼんやりとタシュアは考えこんでいた。
 弟を殺したことを後悔しているわけではない。むしろ放置していたことを後悔していた。
 実を言えば以前から、彼がロデスティオの傭兵隊にいることは知っていたのだ。
――そしてその心が、壊れてしまっていることも。
 もっと早くに手を打つべきだった。それが兄としてすべきことだったはずだ。
 だがそれを……自分はしなかった。
 どうにかしたほうがいいとは思いつつも、ついそのままにしておいた。
 その代償が、これだ。
「ナティエス、リティーナ……」
 自分のミスのために、死ぬ羽目になった後輩たち。
 些細な事と読み違えたがために、取り返しのつかない事態を招いてしまった。
 あの時低学年を守るためにバスコの前に立つのは、ナティエスではなく自分だったはずだ。
 なによりもう少し早く行ってやれば、誰も死ななかっただろう。
――あの時もそうだった。
 学院へ来る前の苦い経験。
 自分に力がないばかりに、些細な事と取り違えたために、三人は死んだのだ。
 後悔してもなにも変わらないことは分かっている。
 だからこそ自分が許せなかった。
 そして二度と繰り返すまいと、自分に言い聞かせてきた。
 だが……。
(――変わっていないということですか)
 結局やったことは同じミスだ。
 これが自分の限界なのか……。
 その時、部屋の外で気配がした。
(――シルファ?)
 ああ言って別れたのにわざわざ彼女が来るなど、普通では考えられない。
 だがともかくタシュアはドアを開けた。
「シルファ、どうかしたのですか?
――え?」
 どうみてもパートナーは酔っている。
 前後不覚と言うほどではないが、それでも普通の状態とは言い難かった。
「大丈夫ですか、そんなに酔ったりして……。
 ともかく中へ」
 急いでシルファを招き入れる。
 と、その彼女が真っ直ぐに見つめてきた。
「――タシュア」
「なんですか?」
 だが次に彼女が取った行動には、さすがのタシュアも慌てる。
「シルファ、落ちつきなさい!」
「落ちついている」
「それのどこが落ちついていると言うんですか!」
 落ちついているなら、いきなりブラウスのボタンに手をかけたりはしないだろう。
「だいぶ酔っているのでしょう? ともかくベッドで休んで……」
「休まない」
「シルファ!」
 いったいどれほど飲んだのだろうか?
 一瞬魔法で眠らせてしまおうかとも思ったが、さすがにそれはためらう。
「ともかく脱ぐのはやめてください」
 タシュアにしてみればこんな状態のパートナーに、乗じてそんなことはしたくないだけだった。
 が、シルファはそうではなかったようだ。
「私は、私は……」
 彼女の紫水晶の瞳に涙が浮かんだ。
「タシュアにとって、私は……」
 泣き出してしまった彼女を見て、今更ながらに気付く。
「すみません。心配させましたね」
「違う、そうじゃない!」
 酔っているせいもあるのだろう。珍しく強い口調だった。
「タシュアは、いつもひとりで……なのに、私はなにも……」
 シルファの瞳から、また涙がこぼれる。
「なにも……なにも出来ない……タシュアに、返せない……」
「そんなことはありませんよ」
 子供のように泣きじゃくる彼女を、タシュアはそっと抱き寄せた。
 優しいシルファ。
 辛い経験に閉じこもってしまった自分を引き上げたのは、シルファのこの優しさだ。
 もう十分、返してもらった。
 いや、返してもらったのではない。
――与えられたのだ。
 彼女に必要とされなければ、今も自分はあのままだったろう。
「タシュアに、タシュアに……」
 そう言って泣きつづけるシルファの頭を、ゆっくりと撫でる。
 何もいらない。
 今度は自分が返す番だ。
「私にとってあなたは……」
 言いかけてタシュアは苦笑した。
 まだ小さく泣きながら、だがパートナーは腕の中でうとうとしている。
 無理もなかった。
 夕方のルーフェイアではないが、シルファもまた疲れ切っているはずだ。そこへ酔った挙句にこれだけ泣いては、体力が持つわけがない。
「ゆっくり休んでくださいね」
 抱き上げてそっとベッドへ移してやる。
 降ろした時にシルファは少し目を開けたが、そのまままた寝入ってしまった。
――泣きながら。
「すみませんでした……」
 自分に余裕がなかったばかりに、彼女まで傷つけてしまった。
 あれほどの経験をして、平気なわけがない。あんな狂気に晒されて平然としていられるなど、もはや人ではないだろう。
 終わったあとでもいいから、守ってやるべきだった。
 自分が狂気の残滓を、退けてやるべきだった。
 手を伸ばす。
 起こさないようにしながら頭を撫でてやると、やっとパートナーの寝顔が安心したものになった。
「――シルファ」
 その彼女に語りかける。
「私にとってあなたは……最高のパートナーで、最愛の女性なのですよ」
 聞くものは、いない。

前へ戻る / 「戦いの果てに」8章へ

図書館へ戻る