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◆温もり◆

1:遠出


◇Rufeir
「シーモア!」
 かけた声に、彼女が顔を上げる。
「遅いよ……って、なんだよそのカッコ」
「?」
 あたしは首をかしげた。
 別にいつもと同じで、どこか変わっていないはずだけど……。
 だけどシーモアの目には、そう映らなかったみたいだ。
「もうちょっとなんか、可愛げのある格好してくると思ってたのにさ。それじゃまるで、男子じゃないか」
「あたし一度も、男子に間違えられたこと、ないけど……?」
「そーゆー話じゃないって」
 シーモアが呆れた顔をした。
「――少し期待してたんだけどな。損した」
 損したって……なんだろう?
「まったく、シエラNo.1の呼び声も高い美少女が、なんだってそんなカッコ……」
「いつも、こうだけど……?」
 ショートパンツにジャケットにロングブーツ。あと最近はさすがに寒くなってきたから、中に 薄手のハイネックのセーター着てる。
 ほんとだったら冬の戦闘用を着てたいとこ――軽いし、動きやすいし、あったかいし――だけど、そうもいかなくて、たいていこんなふうだ。
 でも他にも、似たような格好をしてる女子は多い。
「もういい、分かった。あんたに期待したあたしが、バカだったよ」
「?」
 やっぱりよくわからない。
 けどシーモアのほうはなんだか、自己解決したようだ。
「さ、行こうか?」
「うん」
 行くというのはケンディクの街のことだ。ナティエスたちに誘われて、これからひとまわりすることになってる。
 ただちょっと時間の都合がつかなくて、あたしとシーモアはあとから二人で行って、合流することになった。
「ほら早く、船が出ちまうよ?」
「あ!」
 慌てて出る寸前の連絡船に飛び乗る。すぐに綱が解かれて、船がすべるように動き出した。
 学院のある島は冬だというのに緑色で、その向こうに広がる海との対比が、とてもきれいだ。温暖なことで知られる、ケンディクならではの光景なんだろう。
 そういえば前にこの連絡船に乗ったのは、真夏だった。シエラへ入学する時に乗って以来、まだ二度目だ。
 そして気がついた。
――もう半年も、過ぎたんだ。
 なんだかとても、不思議な気がする。
 たったそれだけしか経っていないのに、あたしの生活は激変した。戦場にいたことが夢だったようにも思える。
 身内と離れたのも初めてだ。もっとも他のシュマー家の子供は、たいてい生まれた直後から親と別に暮らしてるから、あたしはかなり甘いのだけど。
 ただ確かに生活は平穏になったけど、その分カンが鈍ってしまいそうで、けっきょく毎日訓練施設に入り浸って、太刀を振りまわしてる。しかも校舎裏の訓練施設を禁止――これ以上魔獣を退治するな、だそうだ――されて、訓練島まで出るハメになっていた。
 まぁこの方が、思いっきりやれていいんだけど……。
 どっちにしても上級生になって、また戦場へ出るまであと最低四年、よほど気合を入れておかないとボケてしまいそうだ。
「なに見てんのさ」
「え?」
 シーモアに訊かれて、はっと我に返る。考え事に熱中してて、かなりぼうっとしてたみたいだ。
――戦場だったら死んでるな。
 自分に呆れてしまう。たった半年でこの調子だから、先が思いやられた。
「なんか面白いもんでも、あったかのい?」
「何見てたか、よくわかんない……」
「聞くんじゃなかった」
 シーモアが処置ナシ、って顔で肩をすくめる。
「まったくあんた、変わってて面白いよ」
「どういう……意味?」
「そのまんまさ」
 そのままってつまり、あたしが普通と違うから面白いっていうことなんだろうけど……。でもあたしってそんなに、変わってるんだろうか?
――たしかに戦場育ちの分、そのへんは極端だろうけど。
 そんなことを思っているうちに窓の外は、本土がだんだん大きくなってきて、砂浜が見えてきた。
「ここ、きれい……」
「ああ。夏なんかこの海、泳ぐのにサイコウだよ」
「こんなとこで?」
 世間って、案外ヒマなのかもしれない。
 でもそういえば、あたしは終わってから中途入学したからやってないのだけど、年間のカリキュラムの中に水泳が入っていた。
 思ってた以上に、シエラはのんびりしてるらしい。
――MeSがこんなふうで、いいんだろうか?
 まさかシエラへ来る前は、MeSがこんなのんきなところだなんて、思わなかった。命のやりとりをしないで済むぶん戦場よりマシ、なくらいだと想像してたから。
 でも、来てよかったと思う。
 こんなふうに友だちと街へ出るなんて、一生縁がないと思ってた。だいいち友だちが出来るとさえ、あたしは思ってなかった。
 きっと死ぬまで、あの戦場でだけ過ごすとばかり……。
 急に涙があふれてくる。
「ほら、ルーフェイア着くよ……ってゴメン、あたしなんか言っちゃったかな?」
「ううん、違う、違うの。
 あたしこんなふうに、友達と出歩けるようになるなんて、思ってなかった……」
 涙を拭きながら、慌てて説明する。
 聞いたシーモアが、ちょっと複雑な表情をした。
「ばーか。行くよ」
 それだけ言って歩き出した彼女の背を、あたしは慌てて追いかけた。
 
◇Seamor Side
 ケンディクまでの連絡船の中、隣の美少女をシーモアは、なんとなく眺めていた。
 不思議、としか言いようのない少女だ。
 こうしていると華奢で儚げで、とても独りで生きていけるようには見えない。だがひとたびバトルとなれば、並ぶもののない戦女神と化すのだ。
(ほんと、アンバランスってやつだね)
 まさにその一言に尽きた。
 しかも性格にいたっては繊細としかいいようがなく、すぐ泣き出してしまう。
 ただこれは周りの話では、シエラへ来る前が何かいろいろたいへんだったとかで、その反動もあるらしいが。
(けど、このカワイさで泣くってのは、やっぱ反則だなぁ)
 たとえ彼女に非があったとしても、こちらが悪者にされてしまいそうだ。
 船が揺れる。
 もうそろそろ、ケンディクの街に着く頃だった。
「ルーフェイア、着くよ」
 言って、気がつく。
 少女は泣いていた。
(まさか、さっき言ったことで?)
 思わず心配になる。ふつうならどうという言葉ではなくても、この少女は傷ついてしまうことがあるのだ。
 もう少し、自信を持っていいと思うのだが……。
「ゴメン、あたしなんか言っちゃったかな?」
「ううん、違う、違うの。
 あたしこんなふうに、友達と出歩けるようになるなんて、思ってなかった……」
 シーモアの問いに、ルーフェイアはそう答える。
 聞きようによっては、以前イジメたことを責めているような言い方だ。だがこの少女には、そういったイヤミなところはない。
 本気で嬉しくて泣いている、と思って間違いないだろう。
(……言ってくれるねぇ)
 とても同い年とは思えないほど華奢な少女にこう言われると、とても意地悪など出来なくなってしまう。
 何より、あれだけの騒ぎをすべて水に流してくれているのだ。これ以上こっちから何かするのは、シーモアにしてみればプライドが許さない。
「ばーか。行くよ」
 照れ隠しにわざとそう言うと、シーモアは荷物を肩にかけた。
「あ、ごめん」
 涙を拭いて、ルーフェイアもついて来た。

◇Rufeir
 潮風が優しく吹きぬけた。
 後ろに控える海のせいなんだろうか? ケンディクの街は、なんとなく青のイメージがある。それに街全体も、観光都市のせいか手入れが行き届いていて、とてもきれいだ。
「どこで……待ちあわせ?」
「駅前の広場だよ」
 あたしの問いに、シーモアはそう答えた。
 白い石畳の道を歩いていく。
 メインストリートをずっと行って、大きな交差点で右に折れる。もうそのすぐ先が、駅前の広場だ。
 あたしたちは広場をざっと見まわして、すぐナティエスとミルを見つけた。しかもなぜか、イマドとその友だちまでいる。
「悪い、待たせたね」
「ううん、時間ぴったりだよ」
「待ってないよん♪」
 シーモアの言葉に、ナティエスとミルがはしゃぐ。
 それからこの2人、今度はのあたしの方に向き直って、また騒ぎ出した。
「あー、ダメじゃん。ルーフェってば、やっぱりそんなカッコしてる〜!」
「ほぉんと、なんでそんな、男の子みたいにしてんの?!」
 なんか、シーモアとおんなじことを言う。
「あたしも言ったんだよ。でもルーフェイア、ちっとも分かってなくてさ」
「もぉ! とことん常識ないんだから」
 なんだか、ひどい言われようだ。
「そしたらさ、先にうちに行こうよ♪ どうせ行くんだから〜」
 ミルが勝手に決める。
「そうだね。そうしようか?」
「イマド、こっちにしちゃっていい?」
「ああ」
 ナティエスの言葉に、イマドたちも笑いながら立ち上がる。どうも状況を飲み込んでいないの、あたしだけみたいだ。
――でもなんか、ヤな予感がするんだけど。
「んじゃ決まり〜! さ、こっちこっち」
 ミルが強引に、あたしの手を引いて歩き出した。
「何……?」
「いいからいいから」
 わけも分からないまま、引きずられていく。
「こっこだよ〜ん♪」
 彼女が得意げに立ち止まったのは、一軒のブティックの前だった。そして勢いよくドアを開けて、店に入っていく。
「父さ〜ん、ごめぇん! ちょっと予定変わってね、早くなっちゃったんだ〜♪」
 はじけるような声で、店の奥に声をかけた。
「父さん?」
「あ、ルーフェイアは知らないか。ここさ、ミルんちなんだよ」
「うそ……」
 実家がブティックやってて、娘がMeSって……?
 息子ならまだ分かる。徴兵逃れで、男の子をMeSに入れる親は少なくない。
 けどミルはもちろん女子だし、実家はブティック経営なんて、どこを見回してもMeSへくる理由が見当たらなかった。
「あはは、やっぱルーフェイアもびっくりしてる」
 あたしの様子に、ナティエスが笑い出す。
「だって、なんか……ぜんぜん関係ない……?」
「ミル、お母さんが軍にいたんだ」
 そんな理由でいいんだろうか?
 事実は小説より――とは言うけど、ここまでくると予想をはるかに超えてる。
「ま、ご多分に漏れず、それなりの事情はあるんだけどさ」
「……そう、なんだ」
 そう言われて少し納得する。
 もっとも抱えている事情って点じゃ、あたしが学院内で一、二を争ってしまうだろうけど。
 と、勢いよくミルが戻ってきた。
「用意できてるって♪」
「そりゃよかった。じゃ、行こうか?」
 なぜかシーモアが、がっちりとあたしの右手をつかむ。
「そだね」
 ナティエスが左手。
「な、なに……?!」
 けど、みんな笑うだけだ。
「は〜い、いってらっしゃぁい!!」
 そのあたしの背中を、勢いよくミルが押した。
 ぜんぜん予想してなくて、思わずよろける。そこをすかさず、シーモアとナティエスに引きずられた。
「ちょ、ちょっと!」
「だめ! ちゃんとこっち来て!」
 なんか勢いにおされて抵抗できなくて、そのまま隣室まで連れて行かれる。
「え、あ、やだ! ちょっと、何……?! やだ、やめて!!」
「だ〜め♪」
「やだ、やだってば!」
「静かにしなさいって」
 まさか、友だち相手に本気を出すわけにもいかなくて、されるがままだ。
「どうだい、出来たかな? おや、いいじゃないか」
 結局ミルのお父さんが覗きに来たときには、しっかり着替えさせられていた。
「ねぇ、こんな格好、やだ……」
「どして? カワイイよ」
「だって……」
 ひたすら動きづらい。
 だいいちスカートの類なんて、何かあったときの正装以外、着たことがない。
「ほら、いいからこっち来なよ」
 またもや引きずって行かれる。
 今度連れて行かれたのは、ミルの家の食堂だった。なんだかいろいろ、テーブルの上に並べられている。
 でもこれ、どうみても何かのお祝い……?
「ねぇ、これ……何?」
 あたしが聞くと、みんなが爆笑した。
「やだもう。忘れちゃってるの?」
「でもさぁ、らしくていいんじゃないの?」
 まったくわけが分からない。
「ねぇ……だから何なの?」
「しょうがないなぁ。イマド、説明したげなよ?」
 水を向けられて、初めてイマドが口を開く。
「お前、今日誕生日だろ」
「え……あ!」
 忘れてた。
 でも、あたしだって忘れてたのに、どうしてみんな知ってるんだろう?
「お前のお袋だよ、俺らに教えたのは」
 よほどあたしが不思議そうにしていたらしくて、イマドが説明する。
――母さんてば!
 あたしの母さんはかなり変わってる上に、ともかくなにかと、過剰なくらいに世話を焼きたがる人だ。
 けど……今回は許せるかな?
 また涙が出てくる。
「あ〜あ、やっぱりルーフェイア、泣いちゃった〜」
「ほらほら、泣くことないでしょ。さ、座って座って」
 自分でも泣いてちゃダメだとは思うんだけど、どうしても涙が止まらない。
「さ、泣いてないで食べよう?」
「うん」
 あたしやっと涙を拭いて、席についた。

◇Nattiess
 シーモアがイマドから相談された時から、みんなでこっそり計画してたんだけど、思ったとおりルーフェイアったら喜んだの。
――ついでに泣いちゃったけど。
 ちなみに場所を提供してくれたミルのお父さん、すっごくルーフェイアのこと気に入っちゃって――そりゃ彼女超カワイイもんね――なんだかいろいろ、おまけでプレゼントしてたみたい。
 で、普通だったらミルが焼きもち妬くとこなんだけど、これがまた彼女そーゆーものをどっかに忘れてきちゃった性格だから、いっしょになって騒いでるし。
 ともかくみんなでおいしい料理食べてお祝いして、あたしたち外へ出てきて。
「ねぇ、これからどうする? もっかいどっか行こうか?」
 あたしが聞くと、みんなが考え込んじゃった。
「そうだね、とりあえず公園でも行ってみるかい? 今日は風もないし、きっといいんじゃないかな?
 港も見えてきれいだしさ」
 シーモアが提案する。
「公園? そんなのがあるの?」
「――ルーフェイア、公園ってべつに珍しくないから」
 何かにつけて、このズレっぷりだもの。でも少年兵あがりだっていうし、ケンディクなんかもほとんどここへ来たことないっていうから、しょうがないかな?
 他にこれといっていい案もなかったから、みんなでそこへ行こうってことになった。
「きれい……」
 坂を下ったとこで、ルーフェイアったら感動して立ち止まって。
 ここ、公園への坂を下りてくと、いきなり海が開ける。ケンディクでもいちばんきれいな場所じゃないかな。
 穏やかな潮風に吹かれながら、みんなで坂の下まで。
 でもこうしてみるとルーフェイア、ほんとにカワイイ。
 ミルのお父さんが選んでくれた――写真渡して頼んどいたの――白のブラウスに、淡い翠色のボレロとスカートのツーピース、すっごく似合ってるし。
 こーゆー可愛いのが似合うって、美少女の特権かな?
 港は今日も何隻もの船が入港してて、人が行き交ってた。
「あ、ほらほらぁ。また1隻くるよぉ?」
 ミルったらもう、5歳児みたいな声。
 けどつられてそっちをみると、確かに1隻の大型クルーザーが入港するところ。
 しかもすっごい豪華な船なの。
「ああいうの、一度乗ってみたいかも。ね、ルーフェイア?」
「……乗っても、たいしたことないの」
「え? 乗ったことあるの?」
 彼女の分かりきったような答えに、あたし思わず聞き返しちゃった。
 でもルーフェイア、答えてくれない。しかもなんだか厳しい顔。
 なんて言うのかな? どうしてこれがここに、っていう感じの表情だった。

◇Rufeirr
――どうしてこの船が、ここに?
 それがあたしがいちばん最初に思ったことだった。
 一見豪華なだけの、普通の船。でも、あたしには分かる。これは間違いなく、シュマー家のやつだ。
 こんな連絡、まったく受けてなかった。だいいちこんなに目立つマネをして、いったいなんのつもりなんだろう。
 そのうち船から、人が降りてきた。うち、何人かは見覚えがある。
 出来れば気づかないことを祈っていたけれど、ムリだったみたいだ。そのうちの一人がしっかりとあたしの姿を認めて、こちらへ歩いてくる。
 あたしよりずっと年上の青年。髪も瞳も同じ色。
「ねぇあれ、兄弟?」
「ううん……」
 じっさいは、従兄弟だ。けどここで、そう言うわけにもいかない。
 けどそれを知ってか知らずか、彼はまっすぐこちらへ来ると口を開く。
「グレイス、ちょうどよかった。頼まれていた物を持ってきたところだ」
「その呼び方はやめて。それに届け物なら、学院宛に送ればすむでしょう? なんでわざわざ、こんなことをするの?」
 つい声がとげとげしくなってしまうのは、自分でもどうしようもなかった。
 でも彼、あたしのいうことなんか聞いていない。
「ケンディクに二家族駐在させることになったんだ。なにかあれば、そこへ連絡を取ってくれればいい。学院の通信網は、まったく信用出来ないからな。
 それと届け物一式は、これからちゃんと学院へ持っていくさ。君に持たせたりはしないよ」
 友達が一緒にいることなんて、まったく考えてないい。あたしが必死に事情を隠してるのに、それをわざと表に出そうとしてるみたいだ。
 案の定、最初からある程度事情を知っているイマドはともかく、シーモアもナティエスもミルも訝しげな顔をしている。
 しかもまだ話は終わらなかった。
「それから、一度ファクトリーへ帰ってくれないか? 夏の精密検査をしていないだろう?」
「長期休暇でもなかったら、帰れるわけないでしょう? それにこんな話、ここでしないで」
 どこまでぶちまける気なんだろう。
「別に構わないだろう。どうせ誰に分かるわけじゃない。
――すぐに帰れないなら、とりあえず採血だけさせてもらえないか?」
 挙句に言いながら、専用の入れ物を取り出している。
 彼は学者だ。主に医学系を修めていて、あたしや母さんといったシュマーの中でも血が濃い総領家の、主治医も勤めている。
 だから一応、あたしの身体を心配してはいるんだろうけど……。
「いいかげんにして。採血だったら後でして、凍らせて送るから。
 それにあたし、採血しにここへ来たわけじゃないの」
 早々に会話を打ち切って引き上げようとする。
 けど。
「――よく見るとなんだ、その格好は? ずいぶんな安物を着ているな」
「ファールゾンっ!」
 さすがのあたしも、思わず怒鳴りつけた。
 彼に悪気がないのは分かっている。研究ばかりで世間の常識をまったく知らないだけだ。
 でも、言っていいことと悪いことがある。
 ただ当のファールゾンは、なにを怒鳴られたかさえ分かっていない。
「だってそうだろう? グレイスともあろうものが、そんなそのあたりで売っていそうなものなど。
 こっちへ戻ればひとつも不自由はしなくてすむのに、君の考えていることがわからないよ」
「……ファールゾン=ゼニア?」
 あたしの声が、刃を含む。
「ん? なんだ、怖い顔をして?」
 次の瞬間、あたしは動いていた。強烈な左の回し蹴りを食らって、大柄な彼が吹っ飛ぶ。
 イマドが口笛を吹いた。
 それを後ろに聞きながら、お腹をかかえて転がったままの彼に、あたしは歩み寄る。
「早く帰ってもらえる?」
 これ以上、みんなに嫌な思いをさせたくない。
「帰ってくれないなら、あたしも考える」
「うぐ……いやだから、君にはそれは、ふさわしくないと……」
 あたしはもう一歩進み出た。
「何も分かってないのに、何が言いたいの?
 それよりこれ以上みんなに嫌な思いさせるなら、容赦できないわ。今ここであたしが何をしても――どこからも文句は出ないのよ?」
 この恫喝に、ファールゾンの顔から血の気が引いた。
 実際、いまあたしが口にしたことを実行しても、本当に文句は出ない。そのことは彼も知っている。
「分かったなら、少しは慎んで。
――だれか、ファールゾンを連れていってくれる?」
 少し離れたところで成り行きを見ていた家の者に声をかけると、彼らは慌てて走り寄ってきて彼を連れていった。
 それを見届けて、みんなの方へ振り返る。
「あの、ごめんね。うちのが、なんかヘンなこと……」
 許してもらえるとは思えないけど、ともかく謝った。
「ルーちゃん気にしちゃダメだよ。ルーちゃんが言ったわけじゃないんから」
「てか、ルーフェイアってさ、怒るとここまでキャラ変わるのか」
「んー、こいつの場合どっちかってと、内弁慶じゃねぇかな」
「なんだソレ」
「ともかく悪いのアイツだし! でもさ、ルーフェって結構やるねぇ〜」
 みんなが口々に言う。
 ただひとりナティエスは、見るべきとこを見てた。
「ねぇ……ルーフェイアの家っていったい、どういうのなの?」
 いちばん尋かれたくないことを尋いてくる。
 どう答えようか困ってると、意外にもシーモアが助け船を出してくれた。
「やめな、ナティエス。学院にいる連中なんて、みんなワケありさ。あんただってそうだろ?
 だから、聞くんじゃないよ」
「――そうだね、わかった」
 ナティエスもあっさりと引き下がる。
 こんなにありがたいことはなかった。
「シーモア、ナティエス……」
「気にしなさんなって」
 これでいい、そんな笑顔でシーモアが笑った。
 また泣きそうになる。
「あぁぁ、ルーフェイア、ほら泣いちゃダメだってば」
「おまえ、何回泣くんだよ……。しゃぁねぇ、もっかいどっか食いに行くか?」
「あ、賛成!」
「あたしも〜♪」
「ぼくはルーちゃんが行くところになら、そりゃどこへでも」
 イマドの言葉に、みんなが賛成する。
「ちょうどおやつの時間だしね。どこにする?」
「そしたら……あたし、払うから」
「え、ホント?!」
 さっきのことがあるからそう言うと、みんなの顔がぱっと輝いた。
「よし、んじゃ高いの食べるぞ〜!」
「だよね。あの船とか今のこととか、ルーフェイアってばぜったい、お金持ちなのはキマリだもんね」
「あ……」
 しまった、と思う。
 そしてまた、何か嫌な予感。
「えっと、あの、あたしも、そんなに持ち合わせ……」
「だ〜め! ああいう家なら、どうせ信用決済の記録石持ってんでしょ」
「それにあの調子なら、イザとなれば、誰か来てくれそうだしね」
 言うんじゃなかったと少し後悔しながら、あたしはみんなといっしょに、繁華街へと足を向けた。

「温もり」2章へ

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