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◆表と裏◆

3:恐慌


◇Imad side
 野外訓練が終わって自室へ戻ったあと、俺はどうにも落ち着かなかった。すっげぇヤな予感がしてしょうがない。
 あの訓練が終わったときのルーフェイア、ただごとじゃなかった。倒れるんじゃないかと思ったくらいだ。
――行ってみっかな。
 ともかく気になる。
 ただ、女子寮へ行くのはちとしり込みだった。
 昼の間なら、受付のとこでちゃんと言えば入れてもらえっけど……傭兵隊の資格持ってねぇのに行くと、あとで教官に呼ばれるのがパターンだ。
 そんでも結局、俺は部屋を出た。なんかよく分かんねぇけど、ルーフェイアのほうから、聞こえる気がする。
 あいつの部屋は、渡り廊下挟んだ女子寮の三階だ。
 けど部屋どころか、向こうの受付まで行く前に、意外な先輩と出くわした。
「ロア先輩?」
 なんか、やけに慌ててる。
「あ、キミ、ちょうどいいや。ちょっとムアカ先生呼んできて!」
「なんかあったんです?」
 ヤな予感が的中したっぽい。
「うん、ちょっとルーフェが倒れちゃってさ……あ、ちょっと!」
 聞いた瞬間、俺は走り出してた。受付とかそゆのぜんぶ忘れて、あいつの部屋へ飛び込む。
「ルーフェイアっ!」
 呼ぶと、その声に少女が反応した。
「イマ……ド……?」
 弱々しい声。
 顔色も悪いとか通り越して、真っ白に見える。
「どした!?」
「……怖い……」
 こんなにおびえたルーフェイア見んのは、俺も初めてだった。
 理由はどう考えたって、“あれ”だろう。
――ったく、何考えてんだよ!
 あの先輩の毒舌冷酷自分勝手は、そりゃ今に始まったことじゃない。けど、相手考えろと思う。
 ルーフェイアが脆いのなんざ、見りゃ分かるだろうに。
「だいじょぶか?」
 こんなことっきゃ言えねぇ自分に、いちばん腹が立った。
「ゴメン、俺ってばなんも役に立ってねぇな」
 ルーフェイアのヤツが、かすかに首を振る。
「行かない、で……」
「分かった」
 俺が間髪入れずに答えると、コイツの表情が少しゆるんだ。
「急患はどっちなの」
「ボクの部屋です!」
 むこうから、慌しい足音と話し声とが聞こえてくる。
 すぐに勢いよくドアが開いて、ロア先輩とムアカ先生とが入ってきた。
「あらま、ここは女子寮だと思ったけど」
「え? あ、すいません」
 勢いで女子寮突っ込んだの、やっと気がつく。
 けどルーフェイアのヤツにああ言っちまった手前、出てくわけにもいかねぇし。
「ほら、あなた早く男子寮へ……ってなるほど、そういうことね」
 涙ためて見上げるこいつの様子で、ムアカ先生も事情を察したらしい。
「しょうがないわね。今晩だけは特別に許可するから、この子の隣にいてあげなさい。
――で、とりあえず診察したいんだけど?」
「あ、はい」
 さすがにこれはヤバいから、ロア先輩と二人、寝室の外へ出る。
「先輩、なにがあったんですか?」
 いちばん聞きたかった質問を、俺は先輩にぶつけた。
「それがさ、ボクにもよくわかんなくってね。あの子がネット上がろうとして、誰かが監視してるのに気づいてさ」
 多分タシュアだろうけど、とロア先輩が付け加える。
「そしたらいきなりルーフェイアが吐いて、倒れちゃったんだ」
「そうだったんですか……」
 引き金は、昼間の話だろう。たしかルーフェイア、「タシュア先輩にぜんぶ知られた」って言ってたはずだ。
 それで参ってたとこへ、そのご当人に監視までされて、一気にいったっぽい。
 思わず壁を叩いた。
「き、キミ、分かったから落ち着こうよ」
「……すいません」
 そんなやり取りしてたら、ムアカ先生に呼ばれた。
「もういいわよ。呼んでるから、ここに居てあげなさいね」
「あ、はい」
 許可もらって、こいつの部屋へ入る。
 おっくうらしくて視線だけで俺を見上げたルーフェイアは、こないだまで同居してた先輩の妹みたいに、小さくて頼りなかった。

 そのまま、数日過ぎた。けどルーフェイアのやつは、ぜんぜん良くならない。
 ムアカ先生も最初は「ストレスだから数日寝てれば」ってたけど、ルーフェイアはなんせ脆いから、そんなじゃ済まなかったっぽい。いまもほとんど、何にも食えないままだ。
 んでどうしようもなくて、けっきょく診療所に引き取られてる。
 俺とかロア先輩とかシーモアたちとか、なるたけみんな顔出して診療所居るようにしてっけど、はっきり言ってなんの役にも立ってねぇし。
 早い話、原因になっているコトを取り除きゃいいんだろうけど……これがいちばんハードル高いから困る。
 なにしろ相手ときたら、「あの」タシュア先輩なわけで。
 どうにか上手くここまで連れてきたにしても、ルーフェイアのヤツと引き合わせたが最後、事態なんてよけい悪くなりそうだ。
「先生、どうにかならないんです?」
「そうは言われてもねぇ」
 ムアカ先生が肩をすくめる。
「なんとかしてあげたいんだけど、どうにもならないわ。半分は性格なんだろうけど、ともかくよほどひどいストレスになってるみたいだし」
「そうですか……」
 うとうと寝入っているコイツ、少しやつれて見える。
 乱れて顔にかかっている金髪をそっと払いのけてやると、ルーフェイアは目を開けた。
「わりぃ、起こしちまったな。気持ち悪くないか?」
「……うん」
 まだ食べ物は受けつけねぇけど、今朝辺りから少し、良くなってきているのかもしれない。
「今日って……お天気、いいね」
 そう言って何日かぶりに、ルーフェイアのやつが自力で、起きあがろうとする。
「ムリすんなよ」
「……起きたい、から」
 それ聞いて、マジでほっとした。これなら、あとはだんだん回復すんだろう。
 窓を開けてやる。
「あ、気持ちいい」
 吹き込んできた風に、金の髪がなびいた。
 久々の笑顔。
 その笑顔で俺がどんだけ安心したか、コイツには――たぶん分かんねぇだろう。
「少し、外でも出るか?」
「……うん」
 ムアカ先生のほう見っと、年のわりに案外気が強えぇこの人がうなずいた。少し外へ連れてって、気分転換させてこい、ってんだろう。
 着替えて立ちあがったルーフェイアも、思ったよりはしっかりしてた。
 そっと歩き出したコイツに歩調合わせて、玄関出て、船着場まで連れて行く。
 ルーフェイアは海が好きだ。ときどき用事がなくてもこいつ、出かけちゃ桟橋に座り込んでるの、俺も知ってた。
 今も久しぶりに海見て、こいつの顔がほころぶ。
「どする? ケンディクまで行ってみっか?」
「そうだね……あの街、見たいな」
 念のためにこっそり、通話石通してムアカ先生に訊いたら、行っていいって答えが返ってきた。思ったよりしっかり歩いてたし、気晴らしになるから好きなだけ行かせたほうがいいって言う。
「じゃぁ、そうすっか」
「……ありがと」
 足元に気をつけながら、俺らちょうど来てた連絡船に乗り込んだ。

◇Rufeir
 ふっと目が覚めた。
 イマドが心配そうな顔でのぞきこんでいる。
 目が合うと、静かな声で聞いてきた。
「気持ち悪くねぇか?」
「……うん」
 ここ何日か吐き気がして食べられなかったのを、彼はずいぶん心配していた。
 でも今日は少し、身体が楽だ。
 窓の外は、数日ぶりに雲一つない青空だった。
「今日って……お天気、いいんだね」
 腕に力を入れて起き上がろうとしたら、なんだかめまいがした。
「ムリすんなよ」
「……起きたいの」
 よく分からないけど、あの空を見ていたら、そう思った。
 きっと外へ出たら、気持ちいいだろう。
 イマドが察してくれたみたいで、窓を開けた。
「あ、気持ちいい」
 吹き込んでくる風。
 ちょっとだけ心が軽くなった気がする。
「少し、外でも出るか?」
「……うん」
 もしかしたらムアカ先生に止められるかと思ったけれど、あっさり許可が出た。
 なんだか安心して、着替えて立ちあがる。足元も、思ったよりはしっかりしていた。これなら少し、遠出できるかもしれない。
 そっと、歩き出す。イマドがペースをあわせて、ついてきてくれた。
 いつもよりずっと長い時間をかけて、船着場までの坂を下る。
 遠く遥かに広がる、碧い海。
 いろいろな想いが、その碧の中に溶けていく。
「どうする? ケンディクまで行ってみっか?」
「そうだね……あの街、見たいな」
 あの青い街。大好きだ。
 時々あたし、用事がなくても出かけて、散歩したり港で海を眺めたりしてる。
「んじゃそうすっか」
「……ありがと」
 ちょうど来ていた連絡船に、用心しながら乗り込む。さすがに五日も寝てたから、気を抜くとふらつきそうだ。
 窓際の席に座る。
 船が出て、景色が動き始めた。
 このあいだ来た時よりもまた、緑が濃くなっている。陽の光の下で輝く緑は、なんだか涙がでそうに綺麗だった。
 船体が碧いうねりの間で揺れる。
 青と白の街が近づいてくる。
「だいじょぶか?」
 久々に外へ出たのを心配してるみたいで、イマドが声をかけてきた。
「うん。思ってたより、調子……いいみたい」
「そか」
 長居はムリだろうけど、あの埠頭から海を眺めるくらいはできそうだ。
 少し元気が出てくる。
 やがて、船が止まった。
 揺れる足元に気をつけながら降りて、歩き出す。
 いつもと同じ、青い街。
 風に混ざる潮の香。
 シエラの船着場は入り江の中で、外洋はあまり見えないけど、ここは視線の先にどこまでも碧が広がる。
「きれい……」
 穏やかな風、穏やかな海。
 見てると気持ちが落ち着いてくる。
「あの先まで……行って、いい?」
「気をつけろよ?」
 いちばん好きな、埠頭の先まで行ってみる。
 近くで覗くとこの海、びっくりするほど透明度が高い。底まで見えて、きれいな魚が横切って行く。
「ねぇ、しばらくここにいて……いい?」
「あぁ。そしたらなんか飲むか? 買ってきてやるよ」
「……ありがと」
 待ってろと言って、イマドは向こうの店のほうへ駆けて行った。
 ひとりになる。
 でも不思議と、あたしは落ちついていた。ここ数日の落ちこみが、嘘みたいだ。
――この海のせい、なんだろうな。
 ぼんやりとそんなことを思った。
 明日もまた、来てみようかな?
 でもイマドはそうそう、あたしに付き合ってはいられないだろうし。
 ゆらめく水面に手もとの石を投げると、ぽちゃんと沈んで輪を描いた。
 それがなんだか、可笑しい。
 端からみたらきっと変に見えるだろうけど、なんとなく笑みがこぼれた。
 と。
(なに……)
 なぜだろう。何かの、予感。
 ぞっとして、あたしは振りかえりつつ立ちあがった。

◇Tasha & Sylpha side
「すまない、つき合わせてしまって」
「別に構いませんよ。私も用がありましたし」
 バラムの街を、2人の男女が歩いていた。
 ひとりはつややかな長い黒髪に、紫水晶の瞳をした女性。
 もうひとりは三つ編みにした長い銀髪と、紅の瞳をした青年。
 どちらも長身で、しかも美男美女だ。通行人も、かなりの人数が立ち止まっては振り返っている。
 だがこの2人、もし学院の生徒が見たなら避けて通るだろう。
 女性の方はまだ「可愛げがない」程度で通っているが、この青年となると「学内で並ぶもののない毒舌家」との評価なのだ。
――言わずと知れた、タシュアとシルファだった。
 そうしょっちゅうではないが、街でしか手に入らないものを買いに、こうして2人でケンディクの街へ来ることはある。
「そういえば……」
 言いかけて、シルファは口をつぐんだ。自分としては気になる噂を聞いたのだが、それをタシュアに言っても意味がないような気がしたのだ。
「なんですか? 途中で止めたりして」
「いや、たいした話じゃないんだが……この間タシュアが野外訓練で一緒になったルーフェイアという子、倒れたそうだ」
「それは初耳ですね」
 一瞬、タシュアは不審に思う。
 訓練が祟って生徒が倒れることは時々あるが、去年の夏に中途入学した彼女――ルーフェイア=グレイスに限っては、まずそんなことはないだろう。なにしろあのシュマー家が誇る、最強の戦士なのだ。
 とはいえまだ、彼女が11歳でしかないのも事実だ。身体が出来あがっているとは言い難い。
「単に疲れでも溜まったのではないですか?
 それよりシルファ、早くしないと日が暮れますよ。今日は買うものが多いのでしょう?」
「そうだな」
 もう何年も歩いて慣れた街を、手早く回って行く。ひととおり揃え終わった頃には、それなりの包みを、シルファはタシュアに持たせていた。
「これでぜんぶですか? なら、戻りましょうか」
「ああ」
 うっかり港側から回ったため、帰るにはもういちど街を横切らなくてはならない。
「反対から回るべきでしたかね?」
 言いながらタシュアは歩き始めた。シルファもなにも言わずについてくる。
 足を向けた港は、いつものように穏やかだった。よい天気に誘われたのだろう、けっこう人が出ている。
 と、すっとタシュアが立ち止まった。
「シルファ、先ほどの噂は本当なのですか?」
「聞いた話だから……どうかしたのか?」
 そう尋ねたシルファだが、タシュアが答えるより早く意味を知ったようだ。
 埠頭のところにいる金髪の少女は、どうみてもあのルーフェイアだった。
「嘘だったのか」
「単純に回復しただけかもしれませんよ。おや、気づいたようですね?」
 少女が振り返りながら、立ちあがる。
「またお会いしましたね」
 何気なく――タシュアにとって先日の出来事は日常風景の一つでしかない――言ったのだが、少女の表情にあきらかな怯えが走った。
「い、いや……」
 様子がおかしい。
「タシュア、なにか変じゃないか?」
「そうですね。
――ルーフェイア?」
 さすがのタシュアも声のトーンを、小さい子に話しかけるような、そういうものに変える。
 だが少女は、さらに怯えただけだった。
「いや……来ないで……」
 わずかにあとずさる。
 どうみても、普通の精神状態とは思えなかった。このまま放っておくのは危険だと判断して、タシュアは少女に近づく。
「ルーフェイア、どうかしたのですか?」
 普段のタシュアからは考えられないほど、穏やかな調子の声だったのだが、少女の反応はあまりにも唐突だった。
「いやぁっ!!」
 叫ぶといきなり、踵を返して駆け出す。
 だが、その先に足場はない。
 華奢な少女の身体は宙に投げ出され――水面へと落ちた。

◇Rufeir
 立ちあがって振りかえった先、あたしの視線が捉えたのは――タシュア先輩。
 とたんに恐怖に襲われる。
「またお会いしましたね」
 あの、冷たい声。
――怖い。
「ルーフェイア?」
――来ないで。
 先輩の声に、思わずあとずさる。
「ルーフェイア、どうかしたのですか?」
 先輩が近づく。
「いやぁっ!!」
 思わず逃げ出した。
 後ろへ。
「あ……」
 いきなり足元が途切れる。
 身体が宙に浮いた。
――落ちる?
 次の瞬間、あたしの身体は海中に沈んでいた。
 水底から見上げる水面が、奇妙なくらい綺麗。
――そうか、これで死ぬんだ。
 不思議なくらい冷静だった。
 でも考えてみれば、今までだって、生きてこれたのが不思議なくらいだ。だからいつ終わったって、おかしくない。
 それが今だってだけなんだろう。
 息が詰まる。
 そこで、あたしの意識は途絶えた。


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