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◆表と裏◆

4:理解


◇All
「いやぁっ!!」
 叫びを聞いて、イマドは振りかえった。
 目に入った光景に、愕然とする。
 ルーフェイアとシルファと――タシュア。
 そしてルーフェイアは、海へと落ちるところだった。だがあの精神状態で落ちたら、まず助からない。
(なんでだよ!)
 この成り行きに、イマドはかの先輩を絞め殺したいところだったが、まずはともかくルーフェイアを助けにに走る。
 が、さらに早く動いた影があった。
「タシュア先輩?!」
 長身の青年は即座に上着を脱ぎ捨てると、鮮やかに海へ飛びこむ。
 ざんっ、と音がして、水しぶきがあがった。
 やや遅れて、イマドとシルファが埠頭へと駆けつける。
「タシュア、大丈夫か?」
 シルファが声をかけたときには、もうタシュアは少女を抱えて水面に頭を出していた。
「イマド、学院に連絡してください。それからシルファ、手を貸してもらえますか?」
 てきぱきと指示を出し、シルファの手を借りながら海から上がる。
 瞬間、青年は怪訝な表情をした。
 水の浮力がなくなったというのに、ルーフェイアは想像以上に軽かった。この身体のどこにあれほどの戦闘能力が秘められているのかと、不審に思えるほどだ。
 このくらいの年齢――たしかルーフェイアは11歳――にはもう、タシュアやシルファはそれなりの体格に成長していた。だがこの少女はどう見てもまだ、子供でしかない。
 そっと横たえてやると、少女が激しく咳き込んだ。
「どうなんだ?」
 シルファが聞いてきた。その声に心配の色がにじんでいる。
「詳しくはわかりませんが……少なくとも呼吸はしていますから」
 びしょぬれのまま、咳き込む少女の背をさすりながら、タシュアは答えた。
「気を失ったせいで、さほど水も飲んでいないようですし、まぁ大丈夫かと」
「そうか」
 シルファがほっと息を吐いた。
 だがタシュアはまだ、応急手当の手を止めない。
「どなたか毛布を貸していただけませんか?」
 言いながら少女の服を緩め、気道を確保する。
 ここへ来てようやく、ルーフェイア瞳が焦点を結んだ。
「あ……いやっ!」
 とっさに逃げ出そうとするが、今度はタシュアも予測済みだ。払いのけようとした手をうまく捕らえ、少女の身体を押さえつける。
「そんなに怖がらないでください。別にとって食べたりはしませんから。
――息は苦しくないですね?」
「あ……はい……」
 まだ怯えながらも、ルーフェイアは返事をした。いくらか理性を取り戻したようだ。
「そうですか。さぁ、これにくるまって」
 誰かが持ってきてくれた毛布で、こわばらせたままの身体を包んでやる。本当なら濡れた服を脱がせた方がいいのだが、ここでそれをやっては、いくらなんでも可哀想だろう。
 そこへようやく、イマドが戻ってきた。
「先輩、学院に連絡――ルーフェイア、だいじょぶかっ?!」
 その瞬間の少女の変化は、劇的だった。
「――イマド!」
 少年の方へ手を伸ばす。同時にその身体から緊張が抜け、表情も安心しきったものになった。どうやらルーフェイアにとって、この少年はどんな精神安定剤より効果があるようだ。
 抵抗をやめて扱いやすくなった少女を、抱き上げる。
「ともかく学院に戻りましょう。二人とも、そこの荷物をお願いします」
 連絡船にかけあって臨時で本島まで行ってもらい、ルーフェイアを診療所へ引き渡した時には、すでに陽は傾きかけていた。
 ちなみにタシュアとイマドの二人がムアカ――この若い女医は意外にも、こういうことだと厳しい――にこっぴどく怒られたのは、言うまでもない。
 もっともイマドはともかく、タシュアはこたえた様子などまったくなかったが。
「やれやれ、とんだ騒ぎでしたね」
 まるで無関係のことに巻き込まれたといわんばかりのタシュアに、ついにイマドは噛み付いた。
「――もとをただせば、先輩のせいですよ!」
「どういう意味です」
 返されて、少年はことの顛末を話し始める。
 野外実習の時のこと、その晩寮で倒れたこと、そしてとうとう食べるものさえ、吐いて受け付けなくなってしまったこと……。
 だが、タシュアは平然と返す。
「それがどうして、私のせいになるのです?」
 正直な話、心外でしかなかった。タシュアにしてみれば、ことさら何かをしたつもりはない。たしかにルーフェイアを追いかけたり、背後を取ったりしてみたが、目の前にそういう状態で居たから、というだけの話だ。
 何がそんなに彼女を怖がらせ、あそこまでにしたのか、まったく理解できない。
 ただタシュアにも、少女が精神的に危険な状態にあるのは分かった。その辺から推測するに、こちらの何かに対して恐怖を抱き、過剰反応したようだ。
(それにしても、予想外でしたね)
 シュマー家のグレイス姓を名乗るルーフェイアが、まさかこれほど脆いとは思わなかった。シュマーの名に、惑わされたのかもしれない。
 後輩がさらに続ける。
「先輩なら、あいつがなんでここへ来たか、分かるんじゃないです?」
 その言葉に、タシュアは思う。
(私だけ、でしょうね)
 あの場所に何があるのか知っているのは、ここの生徒では、自分とルーフェイアの二人だけだろう。
 忘れたくても忘れられない、忘れるわけにいかないものしか、あそこにはない。
「だからせめて今くらい、そっとしといてやってください」
 なおも何か言おうとする後輩との間に、シルファが割って入った。
「イマド……だったか? あとは私が、よく言っておくから。だから、あの子のところへ……行っては、どうだろう?」
 シルファの提案に、まだ言い足りなさそうだったが、イマドは軽く頭を下げて去った。やはりルーフェイアのことが、気になるのだろう。
 彼が行ったのを見届けて、シルファが口を開いた。
「まったく。だから言ってるだろう、いつも言いすぎだと」
「ふつうはあの程度で、あんなふうになったりしませんよ。脆いにしても度が過ぎます」
 タシュアが即座に言い返す。
 もっともシルファは慣れっこで、気にする様子はなかった。
「だがああいう子が居ても、おかしくないだろう? いろいろなのだし」
「確かにそうですがね」
 今回はさすがに、タシュアのほうが少し分が悪い。だが、それで引き下がる彼でもない。
「あとできちんと謝ったほうが、いいんじゃないか?」
「事実を指摘しただけで、謝るようなことはしていませんが」
 やれやれ、という顔でシルファが軽くため息をつく。
「ともかく、その……ケリだけは、つけたらどうだ? あれではタシュアの顔を見るたび、また同じことになると思う」
「ですから、どこに付けるケリなどあると言うのです?」
 なおも言い切るタシュアに、こんどこそシルファが諦めのため息をついた。

◇Sylpha
 大き目のドーナツ状の型から、いい匂いが立ち上っている。砂糖と、オレンジの匂いだ。
 きちんと冷めたのを確かめてから、型に沿ってナイフを入れると、高さのあるドーナツ型のケーキが現れた。それを三段に切り分けて、一番上を型に戻す。
 これとは別に途中まで作っておいた、オレンジのムースをその上に入れ、真ん中の段を戻し、またムースを重ね、最後に三段重ねになった。
 あとは冷やして、飾り付けるだけだ。
――食べられると、いいんだが。
 この新作のケーキは、あの金髪の子に持っていくつもりだった。
 なんというか、あのまま放っておけない。
 気になってあとから、いろいろあの一緒にいた少年に聞いてみたのだが……どうもタシュアのやったことが、クリティカルヒットしたようだった。偶然いろいろな条件が重なって、精神的に追い詰めてしまったらしい。
 タシュアに悪気はない。彼はいつもああだし、あれでもいちおう筋は通っている。
 あの少女が追いかけられたというのも、元をただせば無防備さゆえだ。図書室の件も理屈だけなら、あの子のほうが不用意だったと言うべきだろう。
 だがそうだとしても、私には少しだけ、やりすぎなように思えた。どれも小さい子にはありがちなことだし、その場で柔らかく教える方法だってある。
 まぁそれをやるようでは、タシュアではないのだが……。
 ともかくこのままにしておいたら、あの子はいずれ、ここに居られなくなるだろう。それがいちばん、私には苦しかった。
 私は生まれてすぐ両親が亡くなり、親戚じゅうを次々とたらい回しにされた。どこへ行っても居場所はなくて、いつも息をひそめて隅に居た。
 目立たないように。見つからないように。追い出されないように。
 だからこの学院へ来たとき、心のどこかでほっとしたのだ。やっと自分の居ていい場所が見つかった、と。
 金髪の子のことは、詳しくは知らない。だがやはり何か事情があってここへ来て、やっと落ち着いたらしいことは分かる。だから、他人事に思えなかった。
 あの、おびえきった表情が忘れられない。
 たしかにシエラはふつうの学校と違って、それなりの危険も厳しさもある。だが、あんなふうにおびえる場所ではないはずだ。少なくとも私は、ここへ来て初めて、居場所を見つけた。
 だからあの子にも笑顔はムリでも、せめて落ち着いてここで過ごしてほしいと思う。
 ただあの金髪の子は、あまり具合がよくないらしかった。そうでなくても弱っていたのに、まだ冷たい海に落ちたのがまずかったらしい。高熱が続いて診療所に入院したままだと、同じクラスのディオンヌが教えてくれた。
――このケーキで少しでも、元気になってくれるといいのだが。
 そう思いながら、冷やす間に片づけをし、簡単なクッキーを焼き、飾りつけ用の道具や材料も揃える。
 ケーキは大成功だった。間のシフォンはまったくつぶれていないし、ムースもいい具合だ。
 なんだか嬉しくなって、仕上げのクリームをぬる手が弾む。
 スライスした果実も乗せて、銀色の小さな砂糖菓子を星のように振って、完成だ。
「……よし」
 これを作ったのは初めてだが、我ながらよく出来たと思う。
――そういえば、味見をしてもらっていないな。
 新作のケーキは、タシュアに食べさせて味を訊くのがいつもだ。けれど今からもうひとつ作るわけにはいかないし、これをタシュアに食べさせたら、お見舞いに行く時期を逃してしまいそうだった。
 仕方ない、と自分を納得させる。
 だが用意しておいた箱に入れようとしたところで、タシュアが入ってきた。
 もしかして、考えていたことがばれてしまったのかと慌てる。こういうことはなぜか、彼はカンが鋭かった。
「新作ですか?」
 言いながらケーキを見た彼が、不思議そうな表情になる。どうやら単純にここへ来ただけで、私の考えていることを察知したわけではないようだ。
 それに考えようによっては、かえっていいかもしれない。
「いつもとずいぶん、趣向の違うケーキですね」
「ああ。少し、変えてみた」
 なにしろ年下の女の子向けだ。見た目もそういうふうに作ってある。だがふだんはタシュアにあわせて、シンプルに作ることが多いから、彼にしてみれば珍しいのだろう。
「では、味見でも」
「ダメだ!」
 とっさにケーキとの間に入って食べられないように防ぐと、タシュアがまた、怪訝そうな顔になった。
「どうしたのです? 毒が入ってるわけでもないでしょうに」
「その、これはだから、人にあげるんだ」
「おや、それはまた珍しいこと」
 私にあまりそういう相手が居ないことを、タシュアはよく知っている。
「今これを箱に入れるから……ちょっと持って、くれないか?」
「まぁ持つくらいかまいませんが、どこへ行く気なのです」
 こんども不思議そうな彼に、「ちょっと」と答えながら、クッキーも詰める。加えて本も何冊か持って、私は立ち上がった。
「ずいぶん大荷物ですね。本は持ちますよ」
――そう。
 タシュアはけして冷たくない。ただ、それを周りが知ることはないだろう。
 私の後ろを、彼がついてくる。
「……なるほど、そういうわけですか」
 寮を出たところで、タシュアは行き先を察したようだ。
「お見舞いとは、ずいぶん甘いですね、シルファは。そんなに甘やかして、どうするのです」
 案の定、彼の毒舌が始まる。
「あのままじゃ、可哀想だろう」
「元を正せば、ルーフェイアのほうが悪いのですよ」
「だからお見舞いが、ダメなのか?」
「そうは言っていないでしょう」
 まだタシュアの毒舌は続いていたが、どうせ言い合いではかなわないから、口をつぐむ。だいいち彼も口では言うが、ここでケーキを放り出して帰ったりはしない。
 それよりも、ムアカ先生が入れてくれるかどうかが、よほど心配だった。
 そっと診療所のドアを開ける。
「あの……」
「どうしたの? ケガでもした?」
 言いながら顔を出した先生が、驚いた。
 何をしに来たのかは、私たちの様子を見てすぐに分かっただろう。けれどそれをさせていいのか、考えているふうだった。
「困ったわね、気持ちは分かるのだけど……」
 先生が考えていることは、私にも分かる。
 確かに上手くいけばいいが、かえって事態が悪くなる可能性も高い。かといって、このままにも出来ない。
「そうですか、では私はこれで」
「ダメだ!」
 先生の様子を見て、さっさと帰ろうとしたタシュアを、強引に引き止める。何とかしなければならないし、それをやれるのは、今だけでたぶん私だけだ。
 上手く言葉が出てこなくて、それでも言いたくて、ムアカ先生のほうを見る。
「――分かった。シルファ、あなたに任せるわ」
「すみません」
 どうにか許可をもらって、おそるおそる奥の病室へ入る。
 気配を感じたのだろう、あの金髪の子がこちらを向いた。だが私のことは覚えていないようで、誰だろう、という表情を見せる。
「具合は……どうだ?」
 声をかけながら近づくと、この子の顔に怯えが走った。私の後ろのタシュアに、気づいたのだろう。
「心配しなくていい、大丈夫だ」
 あの時と同じ表情に、思わず走りよって抱きよせた。
「大丈夫だから……」
 小さく震える少女を、強く抱きしめて頭を撫でる。
 こんなこと、あってほしくない。
 ここは、安全でなければいけない場所だ。
 だから……。

◇Rufeir
 目が覚めて、ぼんやりとあたしは天井を眺めてた。
 なんだかここのところ、この光景ばかり見ている気がする。
 でも、夕べまではかなり熱が高くて辛かったけれど、今日はだいぶ楽だ。
 それにしてもあたし、海に落ちたらしい。しかも何が原因か、かなりの高熱が続いたと、ムアカ先生は教えてくれた。
 ただ自分では、覚えてなかった。
 イマドとケンディクの街へ出て、いつもの埠頭で海を見ていたところまでは、覚えてる。でもそのあと気がつくと、ここだった。
 途中の記憶は、完全に抜け落ちてる。
――授業、進んじゃっただろうな。
 それがいちばん気がかりだだった。なにしろもう、トータルすると2週間以上休んでる。
 その時、話し声が聞こえた。誰かがあたしに会いたがってるみたいだけど、それをムアカ先生が止めてる。
 でもけっきょく、先生が折れたみたいだ。
――誰だろう?
 入ってきたのは、知らない女子の先輩だった。背が高くて、まっすぐな黒髪にきれいな紫の瞳をしてる。
「具合は……どうだ?」
 聞かれて答えようとして顔をあげて、あたしは凍りついた。この先輩の後ろにいるのは……銀髪に紅瞳の、あの先輩だ。
 声が出せなくなる。身体が冷えていく。
「心配しなくていい、大丈夫だ」
 声とともに、駆け寄ってきた女子の先輩に、強く抱きしめられた。力強くて、でも暖かくて柔らかい腕の中。
 この先輩が、本当に心配してくれてるのが分かる。
「大丈夫だから……」
 ひさびさの、無条件の安心感。悲しくないのに涙がこぼれる。
 そんなあたしを先輩は、ずっと抱いててくれた。
「もう、平気か?」
 どのくらい経ったんだろう? そう訊かれてうなずくと、この女の先輩が微笑んだ。とても優しそうな笑顔だ。
 でも、次の瞬間。
「シルファ、どこまで甘やかす気なのです?」
 聞こえた声に、びくりと身体が震えた。
「だいいち、人を何だと思っているのやら。失礼にもほどがありますよ」
「タシュア!」
 シルファと呼ばれた先輩が、怒ったような声をだす。
「事実を述べただけですが?」
 あたしを抱くシルファ先輩の腕が、力を増した。気にしなくていい、そう言いたいのが伝わってくる。
 それからあたしの瞳を覗き込んで、先輩は言った。
「ケーキを、持ってきたんだ。食べないか?」
 思いもかけない言葉に、思わず顔がほころぶ。
 先輩も嬉しそうにうなずいた。
「いま、切るから」
 箱が開けられて、中から出てきたケーキに、ナイフが入れられる。けど、なぜか二切れだけしか、シルファ先輩は切らなかった。
 少しの間があって、タシュア先輩とシルファ先輩の視線が合って……やっと、もう一切れが出される。タシュア先輩がちょっとだけ面白くなさそうなのが、なんだか可笑しかった。
「さ、食べるといい」
「ありがとう、ございます……」
 とても凝ったケーキだけど、何が入ってるのかはよく分からない。でも、おいしそうだ。
 ひとかけら、口に運ぶ。
――この味。
 忘れていた記憶が、蘇る。あの時と同じ香り、同じ味……。
「どうした?」
 急に食べるのをやめてしまったのを、心配してくれたんだろう。シルファ先輩が声をかけてくれたけど、あたしは答えられなかった。
 涙がこぼれそうになる。
「大丈夫か? どこか痛いのか?」
 問いに首を振って、やっと答えた。
「これ……まえに、兄さんと……」
 シルファ先輩が、はっと息をのむ。
 あとは言葉にできなくて、止まらない涙を必死にぬぐった。
 いつだったろう? 思いもかけずこれと同じケーキを手に入れて、兄さんと二人で食べたのは。
 でも、もう二度と……。
「――その、すまなかった」
「別にシルファが謝ることではないでしょう。悪意があったわけではないのですから。
 ですが、偶然とは不思議なものですね」
 予想もしなかった言葉に、驚いて顔を上げる。
 タシュア先輩と、目が合った。
――何かを奥底に秘めた、紅い瞳。
 それが一瞬だけ、優しいものになる。
 瞬間、理解した。同じなのだと。
 違う時間、違う場所で、でも同じものを見てきた人。この学院でただひとり、「あれ」を分かっている人。
 先輩のその瞳に、また涙があふれる。シルファ先輩が「大丈夫だ」と言うように、あたしの頭を撫でてくれた。
 多分かなり長い間、泣いてたと思う。けどシルファ先輩だけじゃなく、タシュア先輩も何も言わずに、待っててくれた。
「さて、長居をしてしまいましたね。帰ることにします」
 やっと泣きやんだあたしを見て、タシュア先輩が立ちあがる。
「あ、待ってくれ、私も……」
「シルファ、あなたはお見舞いに来たのではないですか? それなのに、食べ物だけ置いて帰るのは、どうかと思いますがね」
 切り返されて、シルファ先輩が言葉に詰まる。要するにタシュア先輩、誰に対してもこういう態度らしい。
「では」
 言い置いて、先輩が出て行く。
「その、すまない。タシュアはいつも……ああなんだ。このあいだのことも、悪気があったとか、そういうのじゃなくて……」
「――はい」
 今ならあたしにも、分かる。タシュア先輩は冷酷とかじゃなくて、人と距離を置くだけなのだと。
「良かったら……もう少し、食べないか?」
「あ、はい」
 シルファ先輩に言われて、食べかけたままになっていたケーキに手をつける。オレンジの味と香りが、爽やかだった。
「――おいしい」
「そうか、よかった」
 先輩の嬉しそうな顔に、あたしも微笑む。
「もっと、食べるか?」
「いいん……ですか?」
「ああ。そのために、作ったのだし」
 こんどは二人で並んで、ケーキとクッキーを口に運ぶ。どれもお店で買ったみたいにおいしかった。
 そうしてどのくらい、仲よく食べていただろう? とつぜん何かのアラームが鳴って、持っていたクッキーを落としそうになる。
「あ、驚かしてしまったな。その……当番、なんだ」
「え、先輩、それじゃ早く……」
 学院の当番は減点対象だから、忘れると大変だ。
 急いで片付けながら、シルファ先輩が立ち上がる。
「タシュアのこと――すまなかった」
「いいえ」
 先輩の言葉に首を振る。謝ってもらう必要は、ない。
「そうか。その、また、来るから」
「はい」
 シルファ先輩の姿がドアの向こうに消えたのを確かめて、あたしは枕元の引出しから、一通の手紙を取り出した。
 倒れる直前にファクトリーに問い合わせた、タシュア先輩の素性が、今ごろになって返ってきたのだ。
 わざわざ手紙で寄越したのは、監視されてることを考慮したんだろう。手紙は時間がかかるけど、そのぶん安全だ。
 封を切る。
――タシュア=リュウローン。性別男性、年齢及び生年月日不祥。
 その他、かなり細かいことが書いてある。
 それをあたしは、破り捨てた。

Fin


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◇あとがき◇
最後まで、ありがとうございました。感想等をいただけたらとても嬉しいです。
なお連載はまだまだ続いているので、お時間がありましたら他もぜひどうぞ。

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