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◆立ち上がる意思◆

2:不穏

◇Imad
 ルーフェイアのめちゃめちゃ強烈な膝蹴りから回復するのに、けっこうかかった。
 なんせ手加減してるっても、きっちり急所に決められちゃ、キツいなんてもんじゃない。
 まぁこれに関しちゃ、口滑らせた俺が悪りぃんだけど……でもあいつ、体型ガキなのは事実なわけで。
 とりあえずどこへ行ったかと思って、歩きながらあたりを見まわしてみる。
――あ、いた。
 向こうも気が付いて、少し手を振る。
 それにしたってなにがどうしたんだか、「あの」タシュア先輩といっしょだ。
 俺にとっちゃ信じらんねぇ話だけど、海に落ちた一件以来ルーフェイアは、あの先輩になついている。あの先輩を つかまえて「いい人」って言うのは、おそらくあいつだけだろう。
 しかもよく毒舌食らって泣かされてるってのに、性懲りもなくついてくんだからたいしたもんだ。
 なんでそうなったのかこないだ聞いてみたら、診療所で寝てた時に、「お見舞いに来てくれた」ってことらしい。
 話の内容総合すっとシルファ先輩のほうはともかく、タシュア先輩はお見舞いってのにはなんか程遠い気はすっけど、当人はともかくそういう判断だ。
 で、ともかくルーフェイアはとことん甘いやつだから、それであっさり「いい人」に評価変えたらしい。バトルとなったら容赦がないけど、それ以外はあいつ、あきれるくらいに優しいっつーかお人好しだ。
――ま、それがいいとこなんだけど。
 それにバトル自体もぜんぜん好きじゃなくて、否応なしに身体が動くだけって、本人は言ってるわけで。
 もしシュマーなんてワケわかんない家に生まれなかったら、普通にガッコ行ってダチと仲良くして、それで終わりだったろうに。
 でも今はとりあえず、先輩に泣かされないうちに引き取るのが先だろう。
「ったく、もうちっと手加減しろよな。
――って、また泣かされたのか?」
 近づいてみたら、また涙のあとがついてやがる。
「人聞きの悪いことを言わないで下さい。私が泣かしたわけではありませんよ」
 どうにもこの先輩の言うこのセリフは信用ねーから、ルーフェイアのほうを見ると、こいつもこっくりうなずいた。
「あたしが、勝手に……泣いたの」
「お前がそう言うなら、そうなんだろうな」
 俺も甘いな、と思う。毎度こいつの言うこと、鵜呑みにしてんだから。
 そんなこと思いながら、とりあえず先輩の方に向き直った。
「すみません先輩、こいつが迷惑かけたみたいで」
「おやおや、まるで保護者ですね」
「あー、それ、こいつのお袋に頼まれてんで」
 ルーフェイアのお袋さん、かなり過保護だ。最初のときはもちろん、ルーフェイアのヤツが学院来てからも、俺のほうになんやかや話回してくる。他にも、学院長辺りにもいろいろ言ってるらしいし。
 ただ当のルーフェイアには分かんねぇようにするのが、ちょっと面白いとこだった。
 それに俺からしても、常識がいろいろヤバいルーフェイアは、かなり見てて危なっかしい。
「つか、こいつ野放しとか、けっこう怖いですよ?」
「それは否定できませんね。
 まぁ不要な傷を作らないように、彼女の背中を守ってあげるのですね」
 こいつの背中取れるヤツって、そう言ってる当人だけじゃねぇのかな、と思う。
 たしか傭兵やってる親もとれないとかなんとか、俺、聞いた気がするし。
 って、ルーフェイアのやつが泣いてるし。
「こんどは何だ?」
「あ、ごめん……。平気、もう、泣かない……」
「ムリすんな。しばらく泣いてろ」
 なんかよく分かんねぇけど、何かに感動して泣いてるっぽいから、そのままにする。
 と、今度はいきなり、嬌声ともいえる声が響いた。
「あ〜、ルーフェイアいたいた!」
 シーモアたちだ。
「やっぱり、いっしょに泳ごうと思ってさ」
「さっきはごめんね? ……って、どうしたの?」
「あ、タシュア先輩こんにちは〜♪」
「こんにちは、ミルドレッド=セルシェ=マクファディ」
「タシュア先輩に泣かされたのかい?」
「うそぉ……よく、ミルのフルネーム……」
「や〜、先輩ってすごぉい♪」
 一気に周囲が騒々しくなる。
「さっきは悪かったよ、置いてったりしてさ。さ、もう泣くのは止めなよ」
「あ、ちがうの。そうじゃなくて……」
「ルーフェイア、泣いてもカワイイ〜♪」
「みんなでお昼食べて、いっしょに泳ごう?」
 それにしても女子ってのは、よく喋るな……。
「では迎えも来たようですし、私はこれで失礼します」
「え〜、いっちゃうんですかぁ? いっしょにお昼食べましょうよ〜♪」
 おい、ミル……。普通この状況で、タシュア先輩誘うか?
「遠慮しておきます。
――あまりうかれますと、砂魚に思わぬ怪我を負わされますよ」
「あ、は〜い♪ 先輩今度、みんなでどっか行きましょ〜ね〜♪♪」
「もぉ、ミルってばやめなよ……」
 もともとなんの話だったのか、わかんなくなってきた。
 先輩も呆れ顔で、でも上手く逃げてってるし。
 ともかくまだやいのやいの騒いでる女子連中に、声をかける。
「おい、こいつ引き渡していいのか?」
「引き渡すって、ひどい……」
「あぁ、かまわないよ。とりあえずお昼にしようと思ってるしね」
 そう言えばもう、そんな時間だっけ。
「あ、そ〜だ! いいこと思いついた!!」
 この一言に、自分でも血の気が引くのが分かった。ミルの「いいこと」ってのは、マジでロクなことがない。
「お・ひ・る・ちょ〜だい♪ イマドどうせ、なんか作ってきたんでしょ♪」
「冗談言うんじゃねぇ! お前の分なんか作ってねぇっての!!」
 けど思えばこれが、最大の墓穴だった。
「イマドって……料理するんだ?」
 いつもみてぇに少し首をかしげて、ルーフェイアが誰にともなく言う。
「あれ、ルーフェイアってば知らなかったの?」
「――ナティエス、言うんじゃねぇ」
 思いっきり嬉しそうなナティエスのヤツ、止めたけど聞きゃしなかった。
「いいじゃない、教えてあげるくらい。
 ルーフェあのね、イマドってば、料理けっこう上手なの」
 答えを聞いたルーフェイアが、目を丸くする。
「ほんとに……?」
「うん。てか、ウソついたってしょうがないもの」
 なんとなく、次のセリフは予想がついた。
「――あたしも、食べたい、かな」
「はい、決まり〜♪♪」
 あんな調子だけど、ミルのヤツは意外に鋭い。俺が断れないのを読んで、勝鬨の声を上げる。
――なんでこうなるんだよ。
 ルーフェイアだけならまだともかく、こいつら女子ときたらウルサイわよく食うわ、たまったもんじゃねぇってのに。けどこいつら、食う気満々だ。
 そんな俺の肩を、シーモアが叩いた。
「イマド、あたしもナティと作ってきたからさ」
「……すまねぇ」
 まだ昼も過ぎないってのに、思いっきり疲れながらも、俺は諦め半分で礼を言った。

◇Rufeir
 イマドが料理するなんて、知らなかった。
――ちょっと尊敬。
 あたしってそういうのは、ぜんぜん駄目だ。
 ちなみになにがどうなったのか、お昼はあたしたちとイマドの友達と、なんか七人もの大所帯になってる。
 しかもなんと言うか、生存競争が激しい。
「お前ら、ちっと遠慮しろっての! おい、ルーフェイア、しっかり確保しないと食うもんなくなるぞ!」
「あ、うん」
 でも毎日の昼休みの食堂での騒ぎといい、この今の凄さといい――シエラってなんか違うとこで、バトル厳しいような?
「ほら、これおいしいよ♪」
 まるで自分が作ったみたいな調子で、ミルがあたしに勧めた。
 イマドの作ったサンドイッチって、凝ってる。
「これ……なにがはさんであるの?」
 お肉と野菜――だとは思うんだけど。
「なにって、トマトとサニーレタスとローストビーフ、でしょ?」
「ローストビーフ?
 でもナティエス、このお肉……ローストって言うのに、中が生みたいだし……」
 戦場あたりじゃ生は食べないのは、鉄則と言ってもいい。
「ほんとに食べても、大丈夫?」
――あれ?
 言ったとたん、なんかみんなが石化した。
「ねぇ……みんな、どうしたの?」
「どうしたもこうしたも、お前普段、なに食ってるんだよ……」
 なんかイマドも、すごくショック受けてるみたいだ。
「なにって、食べられるものなら、なんでも……。好き嫌い、ないし」
「意味が違う〜!」
 こんどはミルが叫んだ。
――あたし、そんなに変なこと言ったんだろうか?
「と、ともかくさ、残りさっさと食べて泳ぎに行かないかい?」
 シーモアもずいぶん焦っているようだったし、他のみんなも同意して、慌てて昼食の残りを片付け始める。
 けどそんなに慌てたら、消化に悪いんじゃないだろうか?
 ともかくおかげで、あっさりぜんぶなくなった。
「あたしが後片付けしとくよ。みんな先に行ってな」
 面倒見のいいシーモアがそう言ってくれたから、みんなで甘えることにする。
 あいかわらず波打ち際は、寄せては返す波が洗っていた。
 透き通った波に足が洗われると、踏みしめたはずの砂が流されていく。それがやっぱり嫌で、なるべく波の来ないところを歩いた。
「あ、船〜♪」
「ほんとだ〜」
 ミルとナティエスが、歓声を上げた。
 つられて沖を見る。
 突き刺さる陽射しの下、あたし改めて海を見た。
 瞳に飛びこんでくる碧。
――広い。
 それに海って、こんなに綺麗だっただろうか?
 遥かな碧さ。
 煌く光。
 遠い彼方で空と混じって、そこで青が変わる。
 立ち昇った雲が、目に痛いほど白い。
 そうだ、あたしずっと憧れてた。
 海の色はあたしの瞳と同じだと、ずっと聞かされていたけど。
――ほんとうだったんだ。
 思い切って、一歩海の中へ入ってみる。
 冷たい感覚。
 波が流れていく。
 無限の回数続く、潮騒の音。
 きっとあたしが産まれる前……ううん、シュマーという家が生まれるずっと以前から、同じ音だったんだろう。
――この碧い海に訊いたらきっと、人が忘れてしまった昔も分かるのかな。
 その時、ふわりとあたしの視界を、影がよぎった。
 驚いてその影を追いかける。
 視線が行きついた先には、投げられたタオルを鮮やかに受け取った女子の先輩。
 まとめあげた艶やかな長い黒髪、紫水晶を思わせる瞳――この間お世話になった、シルファ先輩だ。
 背が高い上にスタイルがいいから、黒のシンプルな水着がよく似合ってる。
 シルファ先輩、タオルを羽織るようにしながら海から上がってきて、向こうへと歩いていく。そして投げた人――もちろんタシュア先輩――と、話し始めた。
「なに見てるの?」
 不思議に思ったらしくて、ナティエスが訊いてくる。
「うん、ほら」
「あ、シルファ先輩じゃない。やっぱり素敵だなぁ……」
「あの先輩さぁ、いつ見てもカッコいいよね〜♪ スタイルもすっごいいいし〜♪♪」
 ミルも隣へ来てはしゃぎ始めた。
「しかもさ、いつも美男美女で並んでるんだもん。もぉサイコー!」
「いつも?」
 仲が良さそうなのは知ってたけど、そんなにだとは思わなかった。
「あれルーフェ知らないの? シルファ先輩、タシュア先輩のカノジョだよ」
「有名だよね、その話」
 二人が言うところを見ると、学院内じゃよく知られてるみたいだ。
「ケーキ、だけじゃないんだ」
.「ケーキ?」
 ナティエスがなんのことか分からない、という顔をした。
――そういえば例の話、イマドとロア先輩しか知らないんだっけ。
 ナティエスたちには、なんだかタイミングを逃して、けっきょく言ってなかったはずだ。
「えっとね、その……前に診療所で寝てたとき、あの先輩がケーキ……持ってきてくれて」
「うそぉ、いいなぁ!」
「それ、羨ましすぎかも」
 二人が声を上げる。よく分からないけど「シルファ先輩のケーキ」は、特別なものみたいだった。
 でも確かに、なにが入っていたのかはいまだに分からないけれど、とてもおいしかったのは事実だ。
「あたし……ちょっと、行ってくる」
「なになに、ルーフェイアったらシルファ先輩のとこ行くの? んじゃあたしも〜♪♪」
「あ、抜け駆けとかずるい。あたしも行く」
 結局3人で行くハメになった。
――あ。
 少し近づいてみたらタシュア先輩、感じがいつもとぜんぜん違う。
 なんと言ったらいいんだろう……そう、すごく穏やかな感じ。
 シルファ先輩がタシュア先輩にとってどういう人か、やっと分かってなぜか嬉しくなって、もっとそばまで行く。
「まだ何か?」
 あたしたちが行くと、タシュア先輩が少し呆れたような声をだした。
「えっとぉ、ルーフェイアが用なんで〜す♪」
 第一声を発したのはミル。あたしが何か言う間もなかった。
 それにしてもミルの神経、極太のザイルででもできてるんだろうか? この先輩相手に平気な顔だ。
 そして彼女、今度はシルファ先輩に向き直って一言。
「――89、59、88?」
 聞いた先輩たちが、怪訝な表情をする。
「ねぇ、ミル。その数字……なに?」
 あたしは意味がわからなくて、ミルに訊いてみた。
「あれ、ルーフェ知らないの? えっとねぇ、だから上からなの♪」
「上から?」
「もぉルーフェイアってば! だからムネがぁ……ふみゅっ?!」
 そこまでミルが言いかけたところで、ナティエスが強引に彼女の口をふさぐ。
「ミル! いくら先輩がスタイルいいからって、いきなり何言ってるのよ!
 ルーフェイアも訊くんじゃないの!」
「え? そうなの?」
 結局なんのことかは分からずじまいだ。
――あとで、イマドにでも訊いてみよう。
 タシュア先輩があたしたちに、冷ややかな視線を向けた。
「そんなくだらないことを、わざわざ言いに来たのですか?」
「すみません……」
 謝るあたしに、シルファ先輩が声をかけてくれた。
「もう、いいのか?」
「あ、はい」
 言葉はそうでもないけど、優しい声だ。
「そうか。心配してたんだが……元気そうで、良かった」
「はい!」
 先輩にそう言われて、なんだか嬉しくなる。
「えっと、あの、ケーキ……おいしかった、です」
 あたしがそう言うと、シルファ先輩の顔が少しほころんだ。
「――ねぇ、どんなケーキだったの?」
 ナティエスがそっと訊いてくる。
「えっと……?」
 あの時は食べただけで名前は聞かなかったし、そもそも何が入っているのか、いまいち分からない。
「もう。ルーフェイアってばホントそういうの、覚えてないんだから」
「ごめん……」
 やり取りがおかしかったみたいで、シルファ先輩が笑いながら、助け舟を出してくれた。
「オレンジのケーキだ。間に、ムースも挟んだ」
「わ、 いいなぁ〜! シルファ先輩、こんどあたしにもください〜!!」
 ミルが騒ぐ。
「ミ、ミル、ちょっと……」
「なんでルーフェ、止めるの?
 ねぇ先輩、ミルは先輩の手作りケーキ、食べたいですぅ〜!!」
 あたしじゃミルの勢いは、止めようがなかった。
「――わかった」
「やった〜♪♪」
 困惑しながらも承諾したシルファ先輩の答えが、ミルはよほど嬉しかったらしい。手を叩きながらそこら辺を飛び跳ねている。
「シルファ先輩、あの、すみません。すぐ彼女……連れていきますから」
「あ、ルーフェイアってばヒドぉい! 泳ぎ教えてあげないから!」
――あ、やだ!
 この毒舌の先輩に泳げないなんて知れたら、また何か言われるに決まってる。
 でもタシュア先輩が口を開くより早く、シルファ先輩が考えるようにしながら言った。
「泳げないのか? なんなら、教えてもいいが……」
 びっくりして先輩を見ると、優しい笑顔だった。
「あの、ほんとに……いいんですか?」
 シルファ先輩に教えてもらえるなら、言うことなんてない。だいいちミルじゃ恐ろしすぎる。
「まぁ……私もそれほど、上手いわけじゃないんだが」
「いえ、そんなこと! あの、よろしくお願いします」
 けどあたし、まだ甘かった。
「あ、いいなぁ! ルーフェイアってば、ひとりでずるぅい、あたしも〜!!」
 ミルの嬌声が響く。
「ちょっとミル、そんなこと言ったら迷惑だよ……」
 とっさにナティエスがなだめに入ってくれたけど、その程度でミルが止めるわけがない。
「あ、えぇと……それならみんな、来るといい」
「やったぁ!」
 結局、押しの強いミルの勝ちになった。
「……先輩、ほんとにすみません……」
 ひたすら謝る。
「いや……気にするな」
「すみません……」
「ほんとうに、気にしなくていいから……」
 いけない。このままじゃ同じセリフの堂々巡りだ。
「えっと、あの、そしたら……よろしく、お願いします」
「ああ、わかった」
 どうにか無限ループを抜け出して、海のほうへとみんなで歩き始める。
 タシュア先輩はシルファ先輩にちょっとうなずいて見せただけで、こっちへはこなかった。やっぱりミルと一緒は嫌なんだろ う。
「じゃぁ、ちょっといってくる」
「いってらっしゃい」
 シルファ先輩に、そう返しただけだ。
 それにしても、意外だった。
――何も言わないなんて。
 なんだかかえって怖い気がして、シルファ先輩に尋ねてみる。
「先輩、タシュア先輩、何も……言わなかったんですけど……」
「うん? ああ、泳ぎのことか。ルーフェイアがきちんと、泳ぎを習おうとしているからだろう」
「え?」
 なんかタシュア先輩って、なにをやっても毒舌で締めくくってしまうのかと思っていたけれど、どうも違うみたいだ。
「上手く言えないが……出来ないことそのものには、あまり、タシュアは言わないな」
「そう、なんですか」
 ようするにきちんと努力しようとすれば、それなりに評価するってことらしい。
 なんだかそれをすごく不思議に思いながら、シルファ先輩に連れられて海へ入った。

◇Tasha side
「じゃぁ、ちょっといってくる」
「いってらっしゃい」
 シルファが歩いていく。下級生を連れて歩く様子は、幼稚園の先生のようだった。
 タシュアからしてみれば、「甘い」としか言いようがない。なにしろあのミルドレッドがいるのだ。こうなるのは目に見えている。
 だがシルファのこういう優しさは、嫌いではなかった。何よりああやって慕ってくれる後輩が居るのは、他人が苦手なシルファにとっては、いいことだろう。
(――ミルドレッドに関しては、疑問が残りますがね)
 あれを「慕っている」とは、ふつう言わないだろう。どう贔屓目に見ても、単純に騒いでるだけにしか見えない。
 周りもよく、あの子のああいう行動を、許しておくものだと思う。もっともああいう性格では、言うだけ無駄なのかもしれない。
 もうひとつ意外だったのは、ルーフェイアだ。まさか泳げないとは思わなかった。
 ただよく考えてみれば、先日海へ落ちた際にも、泳ごうとはしなかった。かなり危険な精神状態だったとは言え、普通なら何かするだろう。だが泳げないのなら、あの行動も納得がいく。
(もしまた海にでも落ちたら、どうするつもりだったのやら)
 前回は運良く人目のあるところだったが、次はどうなるか分からない。ましてや泳げないのでは、助けてもらう前に死ぬ可能性は高いのだ。
 泳げないからと、素直に教えてもらおうとする姿勢は評価出来るのだが……やはりこちらも、甘いとしか言いようがない。
(――ルーフェイア、それは「浮いている」というんです)
 後輩の泳ぐ様子を見て、つい突っ込む。だいいちあんな浅いところで、どうやったら上達するというのか。
 だが教えているシルファは、ずいぶん楽しそうだ。教えることに関して、適正があるのかもしれない。
 その様子を横目に、タシュアは荷物へ手を伸ばした。この調子ではしばらくかかるだろうから、持ってきておいた読みかけの本の続きでも、と思ったのだ。
 日陰に腰を下ろし、読み始める。
 そうやって、どのくらい経っただろう? 何かを感じた気がして顔を上げると、一行の頭数が減っていた。
 何となく視線をめぐらせて探してみると、向こうの岩場へと向かう、ナティエスとミルドレッドの姿があった。ルーフェイアの相手に飽きて、遊びに行くことにしたらしい。
 それにしても、ミルドレッドの浮かれぶりは常識はずれだ。あれで岩場へ行こうものなら、足を滑らすのは間違いない。
 そう思っている矢先、後輩が足を滑らせて尻餅をついた。
(……なんと言いますか)
 ここまで予想通りでなくてもいいだろう、そう言いたくなる。よくこれでAクラスにいられるものだ。
 ただ、これといって怪我はしなかったようだ。すぐに立ち上がって沖へと伸びる岩場を、ナティエスとじゃれ合いながら歩いていく。
(――?)
 それを見ていたタシュアの表情が、僅かに変わる。何か影を見た気がしたのだ。
 ほんの一瞬のことで、気のせいだとも思える。だが、なぜかやけに引っかかった。
(武器だけでも、用意しておきますか)
 いつものように音も気配もさせず、タシュアは立ち上がった。

◇Rufeir
 ざっと水面を割って、あたし頭を出した。
「――だいぶ、上手くなったな」
「いいえ、先輩のおかげです」
 シルファ先輩、教えかたがとても上手だ。
 おかげで最初はやっと進む程度だったのに、この短時間でどうにか、途中で息を継げるようになっている。
「わたしは……アドバイスしただけだ」
「でも、先輩に、教えてもらったから……」
「……そうか」
 先輩って、すごく物静かで、ミルとは対照的だ。
 それにとっても優しい。
「早く先輩なんかといっしょに、泳げるようになるといいんですけど」
「あまり、ムリはしないほうがいい」
「――はい」
 ロア先輩も頼り甲斐があるけれど、シルファ先輩はまた別の意味で、いっしょにいると落ちつく。
「そういえば……ナティエスとミル……?」
「――ああ、あの2人なら、岩場の方へ泳ぎに行った」
「あ、そうなんですか」
 確かにあの2人、意外にも泳ぎが上手だ。きっとあたしとじゃつまらなくなって、向こうへ行ってしまったんだろう。
「いったん上がるか?」
「はい」
 先輩があたしの体調を心配して、そう言ってくれたのが分かる。
――お姉さんって、こんな感じなんだろうか?
 あたしは一人っ子――ラヴェル兄さんは実際には従兄弟――だから、そういうのはよく知らない。けど多分、間違ってない だろう。
「……あれ?」
 2人で海からあがってくると、タシュア先輩の姿がなかった。
「手荷物はここだし……武器でも、見に行ったか? ちょっと見てくる」
「あ、はい」
 なんとなくそのまま、浜辺へ座りこんだ。
 碧玉よりまだ濃い、海の碧。
 それでいて、陸に近いあたりは透き通った水色と碧翠だ。
 そして真っ直ぐな、空の青。
 そこへあいかわらず、銀に見えるほど白い雲がわきあがっていた。
――まぶしい。
 圧倒されるほどに眩しかった。
 あたしがこの間までいた世界とは、あまりにも正反対だ。
 あの頃はこんな世界があるなんて、思ってもみなかった。
 同時に、とても不思議な気分になる。
――このあたしが、こんなところにいるなんて。
 もし一年前のあの日、あの町でイマドと出会わなかったら……。
 出会わなかったら、今ごろもう、死んでいたのかもしれない。
 あまり使いたくない言葉だけど、あれが運命の交差点だったんだろうか? あの時を境に、あたしの時間の行き先が変わったような気がする。
 きっとムリだと思っていた、夢の方向へ……。
 そんなことをぼんやりと考えながら待っていたけど、先輩はなかなか戻ってこなかった。
 気にになって、立ちあがってあたりを見回してみる。
――あ。
 ちょっと遠いけど、学院がまとめていろいろ預かってる辺りに、先輩たちの姿を見つける。
 けど。
 先輩たちが手にしてるの……武器。
 瞬間、あたしの身体にも独特の感覚がが走る。
 この感覚。戦場でいつも感じていたヤツだ。
――でも、どこから?
 気配を探って、すぐに分かった。岩場のほうだ。
 そして思い出す。あそこには確か、ナティエスとミルが……。
 とっさにあたし、走り出した。


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