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◆立ち上がる意思◆

3:海竜

◇Sylpha
「ここにいたのか」
「――わざわざ捜しに来たのですか?」
 言葉だけ聞くと「何をしに来た」と言わんばかりだが、その声音はけして冷たくはなかった。
 ルーフェイアあたりが聞いたら、驚くかもしれない。
「姿が見えなかったから……それに、ルーフェイアも心配していたし……」
「まったく。ルーフェイアでは自分の心配が先でしょうに」
 いつものことだが、タシュアの毒舌は途切れることがない。
 そして私は気づいた。
「タシュア……なにかあったのか?」
 タシュアが自分の大剣だけでなく、私の武器――サイズと呼ばれる大鎌で、これは背の部分にも刃がついている――まで手にしている。
「何もありませんよ。今は、まだ」
「まだ?」
 気になる言いかたに、自分の声が緊張を帯びるのが分かった。
「先ほど、岩場の方向で影を見た気がしまして。
 まぁ一瞬でしたし、何事もないとは思うのですが、それでも気になりましたからね。念のためです」
「……そうか」
 それ以上は、私は聞かなかった。問いただす代わりにサンダルを履き、足首のストラップをとめる。
 タシュアの「気になる」は、何かあると考えて間違いない。
 そして武器を受け取った。
「ルーフェイアにも、言っておかないと」
「その必要はなさそうですよ。気づいたようですから」
「本当か?」
 言葉につられて、向こうの波うちぎわへ視線をやると、確かにルーフェイアが緊張している様子だった。
 なにかを探るようにして、辺りへ気を配っている。
 と、突然岩場の方へ駆け出した。
「おや、さすがシュマーのグレイス。気配だけで、相手がどこだか分かったようですね」
「向こうなのか?」
 確かあちらの岩場には、ルーフェイアの友だち――ナティエスとミル――がいたはずだ。
「ええ、確かに向こうですよ――おや」
「……なんだ、あれは?」
 この時になってようやく、海面を割って“それ”が海中から姿を現した。
 まるで小山のような胴体に鰭状の手足。そして長い首と尾。
――海竜?
 その私の推測を、タシュアが肯定した。
「どうやら海竜の一種ですね。外洋では時々見かけるそうですが、この辺には殆どいないはずです。
――と言っても、現にいますがね」
 いつものように冷静に、彼は指摘する。
 それにしても大きい。頭の先から尾の先まで、小さな飛竜くらいはあるだろう。
 肉食らしく、開いた顎には鋭い歯が並んでいる。あんなのに噛まれたら、怪我どころか身体が真っ二つだ。
「あんなのが出るとは、驚いたな」
「そうですね。とはいえ生徒は殆ど海から上がっていますし、実害はないでしょう。放っておくだけです」
 こともなげにタシュアが言う。
 だが――まだルーフェイアの友だちが、あがっていないはずだ。
 そしてルーフェイアならともかく、他の下級生があの海竜相手に、無事切りぬけられるとは思えなかった。
「タシュア、私も行ってくる」
 言い置いて、私もルーフェイアのあとを追うように岩場へと走った。


◇Imad
「悪りぃな、ヘンなことになっちまって」
「いや、それ言うならこっちさ。あの台風娘にまきこんじまって、悪かったよ」
 俺とシーモアは、2人でざっと昼食の後片付けを終えたところだった。
 なんとなく疲れて腰をおろす。
 もっと多人数でやれば早いってヤツもいるけど、はっきりいってこういう場合、他の連中は邪魔なだけだ。特にミルとルーフェイアは、そうだったりする。
 つかミルが邪魔なのは誰が見ても分かっけど、意外なのはルーフェイアだった。
 まったく出来ないわけじゃねぇけど、ともかく手際が悪い。俺やシーモアなんかとはスピード が違いすぎて、結局邪魔になっ ちまう。しかもそのあと泣いて落ちこむもんだから、手伝わせねぇのがいちばん楽だったりする。
 そのうち合間見て、教えてやったほうがいいんかもしれない。
「おーい、イマド、まだ終わらねぇのか?」
 悪友どもがわざわざ呼びに来た。
「ったく、てめぇら一休みくらいさせろっての」
「終わったんならいいじゃないか、ルーちゃん探しに行かないか」
「ヴィオレイ、オマエが探しに行ったって、ルーフェイア喜ばないって」
 アーマルがすかさず突っ込む。
 それにしても最近、ヴィオレイ頭ん中、ヤバいかもしんない。暑さで腐ってんじゃねぇかとか、つい思うくらいだ。
「イマド、あんた行っていいよ。あとは、あたしらのだけだからさ」
「そうか? んじゃそうさせてもらうわ」
 けど俺らが歩き出そうとした時。
「や〜ん、たいへん〜! モンスターでたよぉ!!」
「なんだって!」
 ぱたぱたと騒ぎながら走ってきたミルの言葉に、俺もシーモアも慌てる。
「どこだ、なにが出たんた!」
「えぇとね、あっち〜!」
 ミルが指差す。
――なんだよ、あれ。
 たしか資料で見たことあっけど、このあたりにはあんまいない海竜で、しかも獰猛な種類だ。
 それにでかい。
 ってちょっと待て、ミルのヤツたしか、ルーフェイアと一緒だったんじゃ……?
「ちょっと待ちなよ。ミル、ナティエスとルーフェイアはどうしたんだい!」
 同じことを考えたんだろう、シーモアがミルに詰め寄った。
「えっとね、ルーフェイアはシルファ先輩といっしょだったよ。けどナティエス、こっち来てないの?」
「なんだって!」
 先輩と一緒にいるルーフェイアはともかく、ナティエスが一人となると……。
「あれぇ、途中までいっしょだったんだよ おっかしいなぁ??」
「ミル、このバカッ! あんた――!!」
「やめろ、シーモア。こいつに言うだけ無駄だ。それより俺のツールキットよこせ!」
「あ、あぁ……ほらっ!」
 シーモアの投げたキットが、綺麗に弧を描いて俺の手の中に収まる。
「まって、あたしも行くぅ!」
 およそ緊張感とは無縁のような嬌声で、ミルも名乗りをあげた。
「あたしもって、お前が来たって……!」
 迷惑、そう言いかけて俺は言葉を途中で飲みこむ。
 ミルがマジだ。
 いつのまにか、持ちこんでいたらしい銃を取り出してる。
「――よし、援護頼むぜ」
 性格はともかく、こいつ腕だけは折り紙付きだ。
「もっちろん!」
 そのまま俺ら、走り出す。
「最後にナティエス見たの、どこなんだ?」
「あっち〜」
 5歳児みたいな調子でミルが答える。指差したのは岩場のほうだ。
――あれか!
 確かに突端から少し沖の岩の上、人影が見える。それもどういうわけか2つ。
 片方は間違いなくナティエスだろう。
 けどもう片方はどうみても……。
「ルーフェイア?!」
 泳げないはずのあいつが、どうしてあんな場所にいるんだか?
 でも不思議に思っているヒマがない。もう海竜がルーフェイアたちの近くまで迫っている。
 もっともあいつも黙っちゃいなかった。
 突然天から雷撃が海竜に降り注ぐ。あいつ得意の上級魔法だ。
 そこへ更に銃声がこだました。
――この距離で全弾命中かよ。
 やったのはミルだ。曲がりなりにも、Aクラスにいるだけはある。
 この連続攻撃で、さすがの海竜も動きが止まった。ルーフェイアたちを襲うのやめて、咆哮をあげる。
 けどなんか、海竜の様子がおかしい。
 倒れるとかじゃなくて、めちゃくちゃに暴れてるような……?
「――おい、ミル! お前なんの弾撃ったんだよ!」
「え、あれ? あ、暗闇の魔法込めた弾だった〜♪」
 前言撤回!
 あのサイズのモンスターが闇雲に暴れまわったら、下手に狙われるより危ねぇし。
「ミル、てめぇなに考えてるんだよっ!」
「だって、撃ったらそうだったんだもん★」
 と、ごつん、と景気のいい音がした。
「あ〜、もう、いったいなぁ! せっかく撃ったのにひどい〜!!」
「弾確認しないで撃つ方が、どうかしてるんじゃないのかい?」
 いつのまにか傍へ来ていたシーモアが、ミルの頭を殴りつけたらしい。
「いいもん、もうやんないから!」
「二度とやるんじゃないよ!」
 非常時だってのに、まるで漫才だ。けど幸い、海竜は暴れるのに必死で、ルーフェイアたちを襲うの忘れてやがる。
 今のうちに足止めしておけば……。
「アーマル、お前いつもの武器、持ってきてっか?」
 後ろへ来ていたダチの一人に、声をかける。
「サブのヤツなら」
「じゃぁ悪りぃ、ちょっと手伝ってくれ。氷矢あるか?」
 俺が使う武器は、どれも射程が短い。こういう状況だとどうしても行動が限られる。けどアーマルが使っているクロスボウ系は、かなりのロングレンジだ。
「さすがに氷矢は、持ってきてないな」
「んじゃ空っぽのヤツ」
「ほいよ」
 ダチがひとまとめ、俺に矢を渡す。鏃が空の魔力石で出来たやつだ。
 手にとって、魔力を込める。何でか知らねぇけど、俺は昔っから、魔方陣とかナシでこれが出来た。
 海竜の方は相変わらず、すげぇ勢いで暴れてる。
――ったく、ミルのヤツ、どうしようもねぇな。
 毎度のことながら、あいつが絡むとなんだって、こうも事態がややこしくなるんだか。
「おし、これ頼むわ」
「オッケー」
 今までいっしょにやってきたダチだ。何も言わなくても、何をどうするかなんて通じる。
 立て続けに矢が放たれた。
「よっしゃ、全部いったぜ」
「さんきゅ」
 礼言って、俺は集中する。
――行け。
 手応えがあった。
 石に込めておいた魔法が、発動する。
 込めておいた魔法は氷系だ。だから海竜の身体を中心に、氷が浮かび始める。
 もっとも俺の魔力じゃ、どうやったって全面凍結ってワケにはいかない。
 けど、あいつなら。
 そういう確信が、俺の中にあった。

◇Rufeir
 どうしてこいつがここに?
 あたしがいちばん最初に思ったのは、それだった。この海竜、外洋ならたまに見かけるけど、このあたりにはいなかったはずだ。
 幸いなのは、この種類としては、まだそれほど大きいほうじゃじゃないことだ。けど、とても獰猛だから油断できない。
「ナティエスっ、ミルっ!」
 2人の名前を呼びながら、あたしは岩場の方へと駆けた。そして突端まで行って、ようやくナティエスの姿を見つける。
 でも、思わず足が止まった。
 彼女がいるの、もう少し沖の岩の上だ。今のあたしじゃ、泳いで渡るにはかなり厳しい距離だ。
 しかもどこかへ打ちつけでもしたのか、足からかなり出血してる。
 このまま放っておいたら、間違いなく餌食だ。
「ナティエスっ!!」
「ルーフェイア?!」
 大声で呼ぶと、ナティエスが振り向いた。
 互いの瞳が合う。
 鳶色の、諦めきった瞳。
 そこへ血のにおいを嗅ぎつけたのか、海竜が鋭い歯の並んだ口を開けて迫る。
「だめっ!!」
 瞬間、周囲がぼやけた。
 海も空も判然としなくなって、真っ白な光が走って――。
「る、ルーフェイア?!」
 気が付くと、目の前にナティエスがいた。
「どうやって、ここまで? 魔法??」
 その問いを聞きながら、あたしの身体はまだ勝手に動いていた。
 海竜のほうへ手が突き出されて、次の瞬間呪文もなしに、凄まじい雷撃が海竜を襲う。
――まただ。
 反射なんかとは違う、「何か」が自分を動かす感覚。
 確かにそこにある、でもあたしじゃ使えない力を、その「何か」は平然と引き出して振るうのだ。
 気味が悪かった。
 シュマーのグレイスには、いろいろ嫌な噂が伝えられている。
 人が所有出来ないはずの精霊を平然と従え、上級呪文を詠唱なしで発動させ、失われたはずの魔法を操る……。
 そして、その通りのことをしている自分がいる。
 怖かった。
 このままいったらどうなるんだろう、そう思うと背筋が寒くなる。
 もっとも今は、それを悩むのは後だ。この海竜をどうにかして、ナティエスを岸へ返さなくちゃならない。
「ナティエス、足、大丈夫?」
 もういちど魔法で海竜をけん制しながら、必死に気持ちを切り替えて、ナティエスに話しかけた。
 それにしてもミル、いないとこ見ると、ちゃっかり逃げ切ったんだろうか?
「慌てて岩に引っ掛けたみたいで……こんなに切っちゃうなんて」
 ちらっと見ると、たしかにとても泳げそうにない傷だ。
「自分で魔法、かけられる?」
「やってみる」
 治療はナティエス本人に頼んで、あたしは次の呪を唱える。
「遥かなる天より裁きの光、我が手に集いていかずちとなれ――ケラウノス・レイジっ!」
 詠唱に呼応して、天からいかずちが降り注いだ。海竜の身体に、放電がまとわりつく。
 さっきも雷撃が効いただけあって、海竜がひるんだ。
 でも、これだけじゃ……。
 ナティエスは今泳げない。それを安全に岸へ返そうと思ったら、海竜を倒すしかなかった。
 かといってここで全力を出せば、間違いなくナティエスを巻き込んでしまう。
――どうしよう。
 足止めが出来ればまだいいけど、それもあたし一人ではムリだ。
 せめて、誰かの手助けがあれば……。
 そう思いながらも何か手がないかと、魔法にひるむ海竜を見る。
 と、立てて続けに銃声が響いた。
「この距離で、全弾命中って……」
 ナティエスの言うとおりだった。距離からすればけして大きくない頭部に、きちんと弾が当たっている。ただ遠いのと相手が大きいのとで、思うほど効果は 出ていない。
「あ、ミルだよ、きっと」
「……うそ……」
 人は見かけによらないって言うけど、本当だ。
 でも、なんだか海竜の様子がおかしい。なんて言うんだろう、苦しんでると言うよりは、闇雲に暴れてるような……?
 少し考えて思い当たって、ちょっと背筋を冷たいものが伝う。
 でもたぶん間違いない。
「ミル……暗闇魔法の弾、使ってる……」
 視力を奪われて暴れてる海竜は、見境がない分ある意味、狙って襲われるより危なかった。
 ミルのばか、そう思いながら、ナティエスを押し倒して覆いかぶさる。
 あたしの背中のすぐ上を、海竜の頭が通り過ぎた。
 これじゃ倒そうにも、近寄ることさえ出来ない。かといって一気に勝負に出たら、やっぱりナティエスを巻き込んでしまう。
 彼女と一緒というのが、かなりの足枷だった。
 あたしひとりなら発動範囲なんて気にしないで魔法が使えるけど、彼女は巻き込まれたらただじゃ済まない。
 せめて足止めに魔法を使いたいけど、丁度いいものがない。その手の睡眠魔法やなんかは、効果の信頼性がいまひとつだ。
 いつあの暴れぶりに巻き込まれるか分からないのに、効くまでかけなおしているわけにはいかない。
 かといって、一人じゃ足止めもできないし……。
 と。
「――矢?」
 向こうから飛んできた十数本の矢が、次々と海竜の身体に突き刺さる。そしてすぐ海竜のウロコと周囲に、小さな氷が出来始めた。
――そうか!
 イマドはあたしと違って、魔法を発動させるよりも付与させる方が得意だ。今はたぶん矢に、冷気系の魔法を付与させたんだろう。
 その間にもある程度持続して効果を発揮する冷気魔法は、徐々に凍る範囲を広げつつあった。
 これなら、足止めができる。
「幾万の過去から連なる深遠より、嘆きの涙汲み上げて凍れる時となせ――フロスティ・エンブランスっ!」
 立て続けに、氷系の最上位を放つ。思惑通り、海竜の周囲が凍結し た。
 驚いた海竜が咆哮を上げたけど、もう身動きが取れない。
 もっとも、ただ単に魔法を撃ち込んでもこうはいかない。イマドのおかげで水温が下がっていたからこそできた、ムチャと しかいえないやり方だ。
「――フロスティ・エンブランス!」
 こんどは後ろへ振り向いて、冷気魔法を魔法を海中に叩き込む。こっちはまだ水温が高かったけど、それでも何度か繰り返すと、どうにか渡れそうなくらいの橋が出来た。
「ルーフェイア、すごいね」
「だっていま、海竜……動けないし」
 襲われながらじゃさすがに、こんなことしてる余裕はない。
「えーっと多分、あたし言ったのと意味違うかも。でもたしかに、海竜動いてたら、こんなことしてられないよね」
「……え?」
 微妙に話がかみ合わない。
「ともかく、今のうちに行かなきゃね。よいしょっと……」
 足をかばいながらナティエスが立ち上がって、顔をしかめた。かなり痛むみたいだ。
「だいじょうぶ?」
「痛いけど、逃げなきゃだし」
 見たところ、血だけは止まってる。でもこれ以上は魔法でムリに治すより、ちゃんと治療したほうがいいだろう。
「えっと、ちょっと待って」
 せめてと思って、ナティエスに浮遊魔法をかけてみる。
 彼女の顔が明るくなった。
「あ、これなら楽かも。さっきより平気」
 その声にほっする。
「2人とも、大丈夫か?」
 振り向くと、シルファ先輩の姿があった。あたしたちがもたもたしている間に、氷の橋を渡ってきたみたいだ。
「はい、大丈夫です」
「そうか。
――2人とも、下がるんだ。あとは、私たちがやる」
「わかりました」
 視線は海竜に向けたままの先輩に、そう答える。なにしろあたしたちは丸腰だ。ここは、お願いするのがいちばんいい。
 まずナティエスを先に行かせる。続いてあたしも行きかけた時、咆哮が響いた。
 振り返ってみると、氷にヒビが入り始めてる。さすがに長時間は、持たなかったみたいだ。
 そのとき、不思議な光が視界に入った。不審に思って光源を探す。
――シルファ先輩?
 先輩の身体が、燐光を発しているように見える。
 それも物理的な光じゃない。強力な魔法を使うときに起こる、魔力の発光現象だ。
 同時にあたしは、もうひとつ独特の気配を感じ取っていた。あたしにとってはあまりにも馴染みすぎた気配――精霊。その気配が強まっていく。
 けど召喚される様子はない。
 代わりに、シルファ先輩の髪から色が薄れだした。漆黒のはずの髪が徐々に色を失い、やがて輝く白になる。
 その時にはすでに身体のほうも、残光を描くほどの光を放っていた。
 これ、もしかして……?
 精霊を憑依させて力を借り、戦闘能力を上げる方法はよく知られてる。
 ただこれはけっこう危険もあって、処理された精霊の、一部の力しか引き出せない。力欲しさに完全憑依させたら、乗っ取られて狂うのがオチだ。
 でもごくまれに、それが出来る人がいる。
 もちろんそれほど長時間は持たないし、使える精霊も限られる。なによりとても危険だ。ただその間は、通常の憑依を遥かに上回る力を、得ることが可能だった。
 けれどそれをシルファ先輩が使うなんて、想像もしなかった。
「早くさがるんだ」
「あ、はい」
 煌く白光に彩られた先輩が、あたしに声をかけた。
 確かにこの状態で武器を振るうには、あたしは邪魔だろう。
 大きくなる氷のヒビを見ながら、急いで下がる。
 と、今度は風に乗ってタシュア先輩の呪文詠唱が聞こえた。
「……の嘆きと怒りの咆吼をもちて……」
 聞いたことのない韻。
 いや、ちがう。聞き覚えがある。
――まさか、禁呪?
 でも、ちょっと信じられなかった。
 禁呪は要するに精霊が使うもので、人の器で扱えるようなものじゃない。
 呪文そのものはいちおう誰でも唱えられるけど、発動させると代償として、生命力までもぎ取られて衰弱する。魔力が弱い人が使うと、死ぬことだってあるくらいだ。
 それを、こんな風に簡単に扱うなんて。
 でも、シルファ先輩がもう海竜に突っ込みかけている。このタイミングで魔法をかけたら、巻き込まれるのは確実だ。 いくら精霊を完全憑依させているといっても、禁呪の直撃には耐えられない。
 なのにタシュア先輩、まったく気にする様子がなかった。
 そして魔法が発動する。
 一瞬にして暗くなった空から十数条のもいかずちが降り注ぎ、あたりを薙ぎ払い、帯電した風が逆巻く。
 空気が焼け焦げて、あの独特の匂いがただよった。
 さすがにこれは効いたらしく、海竜が咆哮をあげて動きを止め、その長い首を落とす。
 逃さず、シルファ先輩のサイズ(大鎌)が一閃した。
――抜群のコンビネーション。
 ほんの僅かな発動範囲の差とタイムラグとで、シルファ先輩は無傷だ。
 どさりと音を立てて、海竜の首が落ちる。シルファ先輩がほうっと息を吐き、燐光が薄れ始めた。
 でもその時。
「先輩、うしろっ!!」
 切り落とされて背後へと落ちた海竜の首が、突然牙をむいた。
 まさかの事態に、一瞬シルファ先輩の動きが止まる。
――いけない!
 戦いの最中には、この一瞬が命取りになるのだ。
 とっさにあたしは呪文を唱え始めた。
 選んだのは加速魔法。本当なら海竜のほうをどうにかするべきだけど、今はその必要がなかった。
 理由はわからないけれど、それはイマドがやってくれるという確信がある。
「すべてを包む流れよ、幾重にも重なるその手にて……」
 呪文が、完成する。

◇Imad
「――マジかよ」
 本気でそれしか、言葉がなかった。
 タシュア先輩のあの魔法、どうみたって普通のやつじゃねぇし。それにシルファ先輩、噂は聞いたことあったけど、あれほどとは。
 つか、水着姿でサイズ振りまわすってのも、結構見ものだったし。
 とりあえず海竜が首を切り飛ばされて、片付いたらしい。俺は豪快に凍った海見ながら、ルーフェイアの方へ歩き出した。
 それにしてもあのでかい海竜が氷に押さえつけられた挙句、コゲて首のない胴体になってるのは、けっこう情けない姿だ。
 首は首で、あっちの方に転がってるし。
――え?
 今、首が動いた……?
 一瞬目の錯覚かと思ったけど、そうじゃなかった。
 間違いなくヤツ、動いてやがる。信じらんねぇ生命力だ。
 しかもシルファ先輩、さすがに気を抜いてる。
 とっさに、魔力の付与に入った。狙いはあの海竜の首に叩き込まれた、ミルの弾丸だ。
 集中して、波動捕らえて、ねじ伏せる。込められてた魔法を、強引に違うものに切り替える。
――行けっ!!
 この魔法なら、絶対にルーフェイアとぶつからねぇはずだ。根拠はねぇけど自信はある。
 海竜の身体に残ってた幾つもの弾から、重力魔法が発動した。

◇Tasha side
(泳ぎ足りなかったのですかねぇ……)
 万全を期したのかもしれないが、足止めされている海竜に、シルファがあの荒業を出してくるとは思わなかった。
 泳げない後輩の相手ばかりで、力が余っていたのだろうか?
 見かけからは想像しづらいが、シルファは意外なくらいの前衛派だ。いざとなれば即座に前へ出て、切り込んで刃を振るう。
 いずれにせよ、おおむね片付いたようだ。
 もっとも、気を抜くつもりはなかった。なにしろ相手は海竜だ。その生命力は尋常ではない。完全に死ぬのを見届ける必要がある。
(――シルファ、緊張を解くのが早すぎますよ)
 首を切り飛ばしただけで戦闘体制を解くパートナーに、軽いため息をつく。あれほど普段から、言っているのだが。
 人間にせよ魔獣にせよ、死に際の一瞬は危険だ。何をしてくるかわからない。
 案の定後ろの海竜が、首だけの状態でまだ、動いている。
 さすがに危険だと判断して、タシュアは再び呪文を唱え始めた。禁呪の連続になるが、もう1度くらいなら差し支えないだろう。
 出来れば普通の魔法にしたいところだが、ちょうどいい手持ちがない。使うとシルファを――ルーフェイアはどうでもいいのだが――巻き込んでしまう。
 生命力を削られるのを承知で、タシュアは呪を発動させた。


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