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◆立ち上がる意思◆

4:意思

◇Sylpha
「先輩、うしろっ!!」
 ルーフェイアの叫びで、もういちど私の身体に緊張が走った。
 絶命したとばかり思っていた海竜が、首だけとなって尚牙をむく。
 驚いて、一瞬対応が遅れた。
 首が跳ね上がり、大きく口が開く。
――間に合うか?
 サイズを持ちなおし、踏みこむ。
 まだ精霊ヴァルキュリアの憑依状態は解けていないが、間合いが近い分、先に動いた向こうが有利だ。
 案の定向こうの方が速い。さすがに怪我を覚悟する。
 が、突然海竜の動きが遅くなった。同時に私の身体がスピードを増す。どちらも魔法だ。
――あの2人か?
 これだけ離れていてこの連携を見せるとは、なかなかやる、そう思う。
 さらに私の良く知る気配が辺りに満ちた。風に乗ってか、呪文の詠唱が聞こえる。
「闇の底に眠りし混沌の力、一条に集いて――」
 タシュアの禁呪だ。
 目を射る光の矢が飛来して、海竜の首に突き刺さった。
 たちまち松明のように、首が白い炎に包まれる。そして生命力を削り取る禁呪を、タシュアに連続で使わせてしまった自分に、腹が立った。
 その思いを叩きつけるようにして、サイズを振るう。海竜の首を、今度は縦に両断した。
 燃えながら、首が左右に分かれて落ちる。しばらくうかがったが、さすがに今度は動かなかった。
 ようやく緊張を解く。
「先輩、大丈夫ですか?」
 いちばん近くにいたルーフェイアが、真っ先に駆けてきた。
「すみません、あの、あたし、とっさに……魔法、かけちゃって」
 第一声は、なんと謝罪だ。
「あの状態じゃ……もしかしたら、危険だったかもしれないのに……」
 下手な言葉をかけようものなら泣き出しそうな表情で、少女が私を見上げている。
 先ほどから連続で凄まじい魔法を放ち、海竜ごと凍結させ、さらに絶妙の連携プレーまで見せたのとはまるで別人のよう だ。
「なんでもなかったんだ。気にしなくていい」
「でも……」
「いいんだ」
 私がきっぱり言うと、ようやくルーフェイアも表情を変えた。どうにか納得したらしい。
 しばらくそのままその場にいたが、そのうち海竜の首――というより残骸――に歩み寄り、つま先でつつき始めた。
「もう、動かないですね」
「――あまり、動いて欲しくはないな」
 しかし……美少女がこういうものを、平気でつついているというのは、どうにも形容しがたいものがある。
 戦場育ちで見なれていると言えば、それまでなのだろうが……。
「とりあえず、戻らないか?」
「あ、はい」
 見かねて言った私の言葉に、ルーフェイアは素直に従った。
 少し溶け始めた橋を、2人で急いで歩く。
「冷たい……」
 ルーフェイアが小さくつぶやいた。
 当然だろう。彼女は素足だ。それで凍りついた海面を歩けば、冷たいに決まっている。
「ルーフェイア?」
「あ、はい? きゃ!」
 可哀想に思って抱き上げると、少女が悲鳴を上げた。
「あ、すまない。いま降ろす」
「――いいです、このままで」
 まるで母親に抱かれた子供のように、ルーフェイアが身体を預けてくる。
 不思議な気分だった。少女が自分の妹のように錯覚する。
 無条件の、疑いをまったく挟まない信頼。それをこうも簡単に見せるとは。
――この子はよほど、周囲に愛されて育ったのだろうな。
 そうでなければ人は、疑うことばかり覚えるものだ。またそうであったからこそ、こんな優しい少女が戦場に出されて尚、 真っ直ぐに成長したのだろう。
 少し羨ましい気がした。この学院で、ルーフェイア以上に愛されて育った者は、いないだろう。
 意外に距離のある海面を渡りきると、タシュアともうひとり下級生――イマド、といっただろうか?――が待っていた。
「――タシュア、身体は大丈夫なのか?」
 禁呪を連続で使ったタシュアが心配で、真っ先に尋ねる。
「私の身体を心配するのでしたら、その分戦闘に気を向けなさい。
 いつも言っているはずですよ。完全に死を確認するまで気を抜くなと」
 厳しい。
 だが私を心配していればこその言葉だ。
「次は気をつける」
「言葉ではなく、態度で示して欲しいものですね。
――ところでいつから、シルファまで保護者になったのですか?」
 例によってタシュアが、嫌味とも取れる言葉を付け加える。もっとも今度は、口調にはからかいが含まれていたのだが、これはルーフェイアには分からなかったようだ。
「あ! す……すみません!!」
 慌てて私の腕の中から降りようとして、落ちそうになる。
「急に暴れるな。落ちるぞ」
「すみません……」
 素直というのだろうか。よく謝る少女だ。
 とりあえず足を怪我しなそうな場所を選んで、降ろしてやった。
「先輩、ありがとうございました」
「いや、いいんだ」
 私の傍に立ったルーフェイアは、頭一つ以上身長が違った。
 年令のわりに小柄で、華奢な体つき。
――これでよく、あの海竜と渡り合ったな。
 友人のためとはいえ、あんなものの前に飛び出すなど、そうそうできるものではない。
 そして気が付いた。
「そういえばルーフェイア……いつから泳げるように?」
 さっき教えていた時は、とてもあの距離を泳ぎ切れるほど、上手くはなかった。
 なにより人というのは、そう簡単になにかが出来るようになるものではない。そうだというのなら訓練は無用だ。
 だがこの質問に、少女の顔が曇った。泣き出しそうな瞳になる。
「え、あ、その……すまない、何か悪いことを言ったか?」
 何かに怯えたような表情。
「どうしたんだ?」
 重ねて訊いてやっと、ルーフェイアが話し始める。
「怖い……」
「え?」
 いまひとつ要領を得ない、切れ切れの言葉が続く。
 だがそれをひとつひとつ訊きだして、つなぎ合わせて……私は言葉を失った。
――自分の意思とは無関係に、振るわれる力。
 そういうものが、自分の中にあるのだと、この子は言うのだ。
 信じ難いが、嘘をついているようにも見えない。それにあの戦闘力や何かを考えると、かえって納得がいくくらいだ。
 こういう話を、普段なら一笑に付すタシュアが否定しない辺りからも、事実だろうと思った。以前からこの子については、タシュアは何か知っている節がある。
 だが、どうすればいいのだろう? 何か言ったほうがいいとは思うが、言葉が出てこない。
 仕方なく頭を撫でてやったが、この子は泣き止まなかった。

◇Rufeir
「そういえばルーフェイア……いつから泳げるように?」
 先輩の何気ない言葉が、ぐさりと胸に突き刺さった。
 さっきのことを思い出す。
 自分が自分でなくなる感覚。
 人ならできないはずのことを、やってしまう恐怖。
 涙がこみあげてくる。訊かれたくない。思い出したくない。
「え、あ、その……すまない、何か悪いことを言ったか?」
 声が詰まって、先輩の質問に答えられない。
 いつものことだけれど、恐ろしくて仕方がなかった。
――自分が、自分でなくなるなんて。
「どうしたんだ?」
 答えようとしたけど、やっぱり涙ばっかりで、声にならなかった。
 ほんとうにこのままで、大丈夫なんだろうか?
 「あの」力がいつか、あたしを乗っ取ってしまうような気がして、とても怖かった。
 次々と涙があふれてくる。
 こんな力いらない。
 あたし普通が良かったのに……。

 いちばん最初は、3つの時だった。
 あの頃あたしはまだ戦場にはいなくて、どこかの町に住んでいた。
 父さんはいなかったから、たぶんどこかへ傭兵として出てたんだろう。母さんとあたし、それに住みこみのお手伝いさんの、3人だったはずだ。
 そしてあの日、母さんはどこかへ出かけて、家にはあたしとお手伝いさんの2人だった。
 ベッドの中でうとうとと昼寝をしていて、目を覚ました。
 悲鳴が聞こえたのだ。
 でも寝ぼけていたせいなんだろう、たいして怖いとも思わずに階段を降りて、居間をのぞいた。
 そしてあたしが見たのは、血溜まりと、背に短剣を突き立てたまま倒れたお手伝いさんと、知らない男たち。
 何が起こったのか分からず立ち尽くすあたしを、振り向いた男たちの視線が捕らえる。
 何かの罵り声と、振り上げられる短剣。
 当然どうしたらいいかわからなくなって――けれど身体が動いた。
 あたしの中の「何か」は、あまりにも冷静に身体を動かし……さっきみたいにあたしの身体は、片手を上げた。
 手から吹き上がる、「黒い炎」。
 それはうねりながら虚空を走って、男は炎が触れた場所から、塵になって消えて行った。
 もう一人の男がそれを見て、腰を抜かしながらあたしに言った。
 「化け物」と。
 ちょうど母さんはそこへ帰ってきて、即座に残る男を叩き伏せて、それからあたしのやったことに気づいた。
 呆然とした表情で、あたしと室内とを見ていたのを、覚えてる。
 ただ記憶はそこまでで、あとははっきりしない。ひたすら母さんの腕の中で泣いて、慰めてもらっていた気がする。
 でもあの言葉、「化け物」というそれを、あたしは今も否定できなかった。あの時あたしがやったことは、明らかに人の範疇を外れていたのだから。
 いずれにしてもこの一件であたしが「グレイス」だと発覚し、その後は戦場で暮らすことになった。
 理由は簡単。
 とっさの行動で人を殺しかねないこの幼児は、そういう場所に置いておくに限る。
 戦場なら普通の社会と違って、何人殺したって問題はないのだから。むしろそうして磨き上げた方が、シュマーの次期総領 としてはふさわしい。
 そうやって、どれほどこの手を血に染めたのだろう……。
 終わることのない、悪夢。
「……こんな力、いらない……」
 虚しい呟きが、あたしの口から漏れた。

◇Sylpha
「……こんな力、いらない……」
 かける言葉が見つからなかった。
 まさかこんな少女が、これほど重いものを背負っているとは……。
 場が沈黙する。
 だが、それをあっさりと打ち破った者がいた。
「だから何だと言うのです?」
 タシュアのまるで、「くらだならい」とでも言いたげな口調。
 口調だけでなく、彼にとっては事実そうだろうと思う。何しろタシュアは、他人に関心がない。
 他人に干渉されるのをとても嫌う代わりに、一切他人にも干渉しない。それがタシュアの生き方だった。
 幼かったり障害があったりという、やむを得ない事情があればまた別だが、そうでなければ自分にも他人にも同じように厳しいのだ。
 学園内でも一、二を争うのではないか、それほどに過酷な中を自力で生き抜いてきたことが、よけいにそうさせているのかもしれなかった。
「欲しくないといっても、現に持っているのでしょう。逃げることばかり考えないで、立ち向かってはどうです」
 辛辣な言葉。
 だが、私にしか分からないかもしれないが、その声は決して冷たくはない。やっぱりタシュアはこの子について、何か知っているのだろう。
「泣いているだけで何かが変わるのでしたら、一生そうしていなさい。自分が何を持っているかにも気づかない愚か者には、それがお似合いです」
 この厳しい言葉の意図が、ルーフェイアに分かるだろうか?
 分かって欲しかった。
 なぜならタシュアは……。
「もう一度、よく考えてみるのですね」
 最後にそれだけ言って、タシュアは背を向けた。いつものように音も立てず、気配もさせずに立ち去る。
「ルーフェイア、タシュアの言うとおりだと思う。辛いだろうが……よく考えてみるんだ」
 私もルーフェイアの頭を撫でながら、言った。
 まだ11歳でしかない少女に、しかも本人の意思とは関係なく重いものを背負わされているのに、こんなことをいうのが酷なのは、私にも分かる。
 だが人は、誰でもいつかは独りで歩き出さなくてはならない。
――だから、ルーフェイア。
「タシュアの受け売りだが……一歩を踏み出さない限りは、何も進歩はない。何でも良いから、一つはじめてみるんだ」
 そして私は、タシュアの後を追った。

◇Imad
 浜辺に、ルーフェイアのヤツが立ち尽くしてる。
「だいじょぶか?」
「……うん」
 だいじょぶなワケねぇのに、そんな答えが返ってきた。
 隣に俺が座ると、こいつも砂浜に腰を下ろす。
 昼下がりの空に、波の音が響いた。
「その、なんかワケわかんねーの、ずーっとなのか?」
 俺の問いに、ルーフェイアのヤツが泣きながらうなずいた。
「んじゃ、きっついよな……」
 タシュア先輩の言いたいことも、まぁ分かる。自分のことなんだから、泣いてねぇでなんとかしろ、ってんだろう。
 けど俺の見るかぎり、ルーフェイアのその「なんか」は、自力でどうなるようにも思えなかった。
 つか自力でどうにか出来るなら、ぜったいこいつはやってるわけで。それがただ泣いてんだから、散々試してダメだった、ってとこなんだろう。
――それをどうにかしろ、ってのもなぁ。
 先輩たち知らねーからしゃぁねぇけど、ずいぶんな言い草だ。
 ただ、なんか状態変えたほうがいいってのは、俺も賛成だった。このまんまの状態続けてたら、そのうちこいつ、潰れるだろう。
 かといって、その「問題」は片付けようがないわけで……。
「どうして……あたし、なんだろう……」
 当たり前っちゃ当たり前の疑問を、ルーフェイアのヤツが口にする。
「もっと、向いてる人……ほかに……」
 どっか思いつめたふうの声に、俺は答えた。
「考えても、しゃーねぇんじゃねぇか?」
「え?」
 驚いたようすで、ルーフェイアのヤツが顔を上げる。俺の言葉が、かなり意外だったらしい。
「んー、なんてのかな。今ここで考えても、ぜったい理由とかわかんねぇし。
 だったら考えるだけ、無駄だろ」
「それは……そう、だけど……」
 口じゃそう言いながらもこいつ、どっか納得できねぇらしい。
 ただ俺的にはそろそろ、こういう表情じゃなくて、もっと楽しげにしてて欲しかった。
「俺がそーゆーの持ってるわけじゃねぇから、分かってねぇかもだけどさ。
 けどおまえ、とりあえず今ふつうにやれてるし。学院に来たから、当分は前線出ねぇで済むし。
 なら、今はそれでいいんじゃね?」
 ルーフェイアのヤツの、呆気に取られた顔。
 それからこいつが、ぽつりと言う。
「イマド……適当すぎ……」
「るっせ」
 思わず言い返すと、いつも通りこいつが謝った。
「え、あ、ごめん……えっと、そういう意味じゃ、なくて」
 慌てる様子が、見てて面白い。
「上手く言えねぇけどさ、けっきょく何でも、なるようにっきゃならねぇだろ。
 だから何もしねぇってのはヤベぇけど、やれるだけやったら、あとはしゃーねーって」
 ルーフェイアのヤツが下を向いた。
 唇から言葉がこぼれる。
「けど、もし、もう少し……」
 何かやれてたら、ってんだろう。俺もこれは昔やらかしたから、少し苦くなる。
 けど――だから言える。
「しゃぁねぇって。俺らカミサマとか、そゆのじゃねぇから、何でもはできねぇよ」
 つらい諦め。チビの頃信じてた、何でも出来るって気持ちを捨てるのは、楽しいもんじゃない。
 けど、それが現実だ。
「やれるだけやっても、気がつかねぇとか足りねぇこと、あるさ」
「………」
 たぶん真面目なこいつは、「どうしようもなかった」ってことを、受け入れらんなかったんだろう。
 誰も悪くないってのは、ある意味で逆につらい。憎む相手がいたほうが、ずっと楽だ。だからこいつは自分を責めて、自分を納得させてたんじゃねぇだろうか。
 つか、俺もそうだった。
 けどどんなに責めても、過ぎたことは変わらない。だからある程度で見切りつけて、進まなきゃダメなんだと俺は思う。
「てかさ、こんなこと言ったら、怒るかもしんねぇけど。
 けどおまえの兄貴、おまえのそういうの、喜ばねぇんじゃね?」
「――!」
 何かに気がついた、ルーフェイアのやつがそんな顔をする。
「おまえの兄貴よく知らねぇから、あんま言えねぇけどさ。でも、そんな気がすんだよな」
「そう、かも……」
 ふっとこいつが、何かを吐き出すみたいに、ため息をついた。
 受け入れたくねぇけど、受け入れるしかない。そんなルーフェイアの表情。
 それから、言う。
「……ごめん」
「いいって」
 何が、とは聞かなかった。だいいちこいつ自身も、突っ込まれたら答えらんねぇだろう。
 今までのいろんな重いものに、ある程度ケリつけてくれりゃ、俺としては十分だ。
「とりあえず、もちっといいとこ見ろよ。あんま後ろ向いてっと、よけい落ち込むぜ?」
「……そうだね」
 こいつが淡く微笑む。今までと少し違う、穏やかな笑顔だった。
――やっぱ素直だよな。
 人になんか言われたからって、普通はこんな簡単に、変わろうなんてできない。けどそれがやれるのが、ルーフェイアの強みだろう。
「まぁおまえ以上の事情あるやつとか、他にいねぇだろうから、落ちこんじまうの分かるけどな。
 けど金に困ったことねーし、親いるし、その辺ちっといいんじゃね? 俺から見ても、けっこう羨ましいしさ」
「あ……!」
 声をあげたルーフェイアのヤツに、今度は思わず突っ込んだ。
「おまえもしかして、気づいてなかったのか?」
「ごめん……」
 可笑しくなった。こういう天然ボケは、いかにもこいつらしい。
 つい笑い出した俺に、ルーフェイアのヤツが怒った調子で言う。
「そんな、笑わなくても……あたしが、悪いけど、でも……」
「悪りぃ悪りぃ」
 謝る側と謝られる側が反対の気がすっけど、まぁそれはそれだ。
「ま、みんないろいろあるって。おまえがトップクラスだとは、思うけどよ」
「そうだね、そうだよね……」
 またルーフェイアがうつむく。でも、泣こうとしてじゃなくて、考えてた。
「泣いてても、変わらない、から……」
 こいつがいつも必死なのは、俺にもわかってた。ただ前も見えないほどの荷物で、どっちへ行ったらいいかわからない。そんだけだ。
 そして今、確かにこいつは歩き出そうとしていた。
 優しいことが取り柄なのに、まったく筋違いな荷物を背負ったままで。
 ルーフェイアが顔を上げる。
「あたし……自分のことしか、見えてなかった」
 自嘲したような表情。
――やっぱお前、すごいぜ。
 人前で自分のことを、こんな風に言えるやつは少ない。
 いい意味でプライドを持たないルーフェイアを、羨ましく思った。
「あたしひとりが辛いんだと思ってた。ひどい、って。
 けど、あたしだけじゃなくて……みんなそれぞれ、辛くて……」
 深い碧の、真っ直ぐな瞳。
 まるでガラスのように澄んで……。
「――そゆことだな」
 その瞳におされながら、そう俺は答えた。
 この世界のどこにも、辛くないやつなんていない。
 先輩たちは言うに及ばず、シーモアなんざストリートキッズしてたし、ナティエスもそうだ。ミルもあれで、けっこういろいろあっ たらしい。
 そして俺も、ルーフェイアとは比べものにゃならねぇけど、それなりにあった。
 この年でなんで、って気はあるけど、それを言ってもどうにもならない。その他にだって辛いことなんか、数えるのも馬鹿らしいくらい次々と起こる。
 けど――やるしかない。
「頑張ってりゃいつかはいいことあるなんて、そんな下らないこと言わねぇ。でもなにもしないで泣いてたら、そこで終わりだかんな。
 だからさ、泣いてもいいから、やってみろよ」
「――そうだね、そうする」
 優しいこいつのことだ。またなんかあれば、きっと泣くだろう。辛さに嘆く時もあるだろう。
 けど今度は間違いなく、自分で立ち上がるはずだ。
 真に強いやつは真に優しい。その言葉を思い出した。
 これは、その強さじゃないんだろうか?
 少なくとも俺には、そう思えた。

◇Rufeir
「先輩、その……さっきは、すみませんでした」
 少し落ちついたところで、あたしはタシュア先輩に謝りに行った。
 ほんとうは行かなくてもいいのかもしれないけれど、それだとあたしの気が済まない。
 言われて初めて気がついた。あたしには、ちゃんと両親がいる。
 イマドも、先輩たちも、シーモアもナティエスもミルも……両方、あるいは片親がいないのに。
 自分がこんなに多くのものを持っていたことに、どうして気づかなかったんだろう?
 結局あたしは辛かったことだけを抱えて、そこで泣いていただけだったのだ。
 逃れたいといいながら、自分でその手に辛さを抱きしめていた。これで逃れられるわけがない。
――この手を、放さなくちゃ。
 そうして身軽になって、歩き出さなくちゃいけない。
 怖いけど。不安だけど。でもやらなきゃ……。
 いろいろなことが頭をよぎる中、真っ直ぐにタシュア先輩を見る。
 こんなふうに先輩を見ることができたのは、初めてかもしれない。
「何を謝るのですか? 何か悪いことでもしたという意識があるのですか?」
 それが先輩の返答だった。
 とたんに何を言ったらいいのかわからなくなる。
――だめ、考えなくちゃ。
 自分が何を言いたいのか、今どうしたいのか、必死に考える。
「えぇと、あの、あたし先輩に……」
「ですから、何をしたというのです?」
 タシュア先輩って、どうしてこう意地悪なんだろう? おかげでまたどう言ったらいいのか、分からなくなってしまった。
 なかなか適当な言葉が思い浮かばない。
 泣きそうになるけど、それはどうにかこらえて、また必死に考える。
「ルーフェイア、いい顔になったな」
「え?」
 突然のシルファ先輩の言葉に、驚いた。
「あたしが……?」
 信じられない言葉。
 困惑してイマドの方へ振り向く。
「俺もそう思う。お前今、いい顔してるぜ」
 同じことを言われて、ますます困惑する。
「どう見てもまだ、ヒヨコですがね」
 タシュア先輩……怒らない?
 そして気が付いた
 もしかしてこれ、みんなあたしのこと、褒めてるんだろうか?
――うそ、みたい。
 こんな風に正面切って、あたしにいろいろ言ってくれるなんて。
 今までそんなことはなかった。「グレイス」という名のせいで誰もあたしの傍へは来なかったし、普通に扱ってくれる人もいな かった。
 それに何もかも、「出来てあたりまえ」にされてたから……。
 こんどは、涙をこらえきれなかった。泣いちゃダメだと思うけど、どれほどぬぐっても、あふれてくる。
「ごめんなさい……あたし、やっぱり……」
「ま、そういうのなら、泣いてもいいんじゃねぇか?」
 イマドが笑った。
「――わたしも、こういうことなら悪いとは思わないが」
 シルファ先輩もそう言ってくれる。
「やれやれ……泣き虫は相変わらずですね。
 あなた1人が、重いものを背負っているわけではありませんよ。自分だけが悲劇の主人公などと、思いこまないことですね」
「――はい」
 あたしのことだ。きっとまた泣いてしまうだろうし、座りこんでしまう時だってあるだろう。
――でも、みんないるから。
 だからきっと、立ちあがれる。
 波が無限の回数、よせては返すように……。

Fin


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◇あとがき◇
最後まで、ありがとうございました。感想等をいただけたらとても嬉しいです。
なお連載はしばらく続きますので、これからも見にきてくださるとうれしいです。

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