◇Neil
「遅くなっちまったな……」
独り言をつぶやきながら、俺は通りを駆けてた。
いい加減陽が落ちかけてて、そろそろ行きかう人もまばらだ。
――近道すっか。
縄張りに入っちまえばともかく、この辺はまだそっからはちょい遠い。なのに日が落ちてからもウロついてたら、場所が場所なだけにヤバかった。
建物の間の、路地っつーより隙間に入り込んで、次の通りへ一気に抜ける。
それを繰り返して何度目か。
「っと――」
暗い物陰をうっかり見落として、俺はなんかにつまづいた。
けっこーデカイ。
「ったく、こんなど真ん中に、こんなでかいモン――!」
悪態つきかけて、途中で言葉を飲み込む。
ボロ布かなんかだと思ってた塊から、足が出てた。
――それも、人間の。
ただ、そんなに大きくない。たぶん10歳にもならないくらいの子供だ。
死体。
その言葉が真っ先に、脳裏に浮かんだ。
この辺りじゃ……時々ある話だ。
交易で栄えてるこの街だけど、貧民街はひたすら貧しい。スリ、かっぱらいは当たり前だし、コキ使われまくったり食いっぱぐれたりで死んだ人――けっこう子供が多い――がこうして道端に放り出されてることも、たまにはあった。
しゃがみこんで、そっと毛布をめくる。
――うわ。
見られねーようなのを想像してたけど、違う意味で絶句する。
淡い色の髪。陶器みたいな肌。真っ白な衣装。「汚れてない」って言葉が似合う、人形みたいにきれいな女の子だ。
どっかケガした様子はなかった。だからたぶん、病気か衰弱死だろう。
普通はこれほどきれいな子なら、どっかの金持ちに売られてそれなりの暮らしが出来る。
もちろん奴隷扱いだけど、食いっぱぐれることはないし、運が良けりゃ養子にしてもらえることだってあった。
万が一大人になる前に病死とかしても、道端にそのまま放り出されるなんてことはない。家の墓地の隅っこくらいには、入れてもらえるはずだ。
なのにこんなとこに死んで放り出されてるってのは、そんなちょこっとの幸運にさえ見捨てられて、独りっきりでここまでやっと生きたんだろう。
かといって、この辺の通りの子でもないはずだった。
これほどの美少女なら、どこの縄張りに居ても噂になる。けど、見たことも聞いたこともない。
だからたぶん、どっかこの辺のとんでもない店に売られてきて、店の奥でコキ使われてたはずだ。
で、病気かなんかのお決まりのパターンで……死んで放り出されたんだろう。
「ひどいよな……お前が悪いワケじゃないのに」
せめて町外れの共同墓地に、そう思ってこの子をくるみ直して抱き上げようとして。
――生きてる?
触れた肌がまだあったかい。
「おい!」
ゆすって軽くはたくと、この子がうめいてかすかに目を開けた。
透き通った、そんな感じの瞳。それが少しの間さまよった後、俺の方へ向けられる。
子供らしくない諦めきった表情に、寂しい微笑みが浮かんだ。
――ありがとう。でももう、いいの。
そう言ってるのが分かった。
「だめだ、死ぬな!」
思わず言葉が出る。
もう長くなさそうだけど、でも目の前で出会った子に、こんな死に方させたくなかった。
薄汚れた建物の裏で、ボロ布にくるまって虫にかじられながら独りで死ぬのを待つなんて、まともな死に方じゃない。
せめてベッドの上で、そう思って、この子を抱きなおす。
「もうちょっとがんばれ、いいな?」
ぐったりしてるこの子に声をかけながら、抜け道を急ぐ。家はここからならすぐだった。
古い石造りの階段を駆け上がって、ドアの前で騒ぐ。
「姉貴、開けてくれ!」
中から姉貴の声と、もうひとり別の人の声。
「どうしたんだ、ニール。いつに無く慌てて」
開いたドアから顔を出したのは姉貴じゃなくて、いつも姉貴を診てるドクターだった。ちょうど往診中だったらしい。
んで当然ながらドクター、俺の腕の中を見て血相変える。
「すぐ寝かせて」
俺ももちろんそのつもりだったから、そっとこの子を俺のベッドに下ろした。
「いったい、どこで?」
「向こうのパン屋の奥手。捨てられてた」
俺から様子を聞きながら、ドクターが手際よくこの子を診てく。
「まずいな、かなり衰弱してる」
「可哀想に……」
姉貴も起きてきた。
「姉貴、寝てなって」
風邪もひかなきゃ腹も壊したことない俺と違って、姉貴は昔から線が細くて身体が弱かった。ただ幸い、一昨年死んだ親父やお袋――こっちは俺がガキの頃――がそれなり蓄え残してくれてて、その分で姉貴の薬代が賄えてる。
――まぁ、格安ってのもあるけど。
いつも診てくれてる没落貴族のドクター、若いのに腕も人柄も良くて、貧乏人の俺たちから見ると神様みたいな人だ。
もっともそれ差し引いても姉貴への往診が、多い上に安かったりタダだったりするのは、他にワケがありそうな気はする。
――どうせなら、姉貴持ってってくんねぇかな?
弟の俺としちゃ、医者と一緒になってくれた方が、姉貴のためにもいいと思う。
ただ、歳がけっこう離れてるからなぁ……。
姉貴は18、ドクターは確か30くらい。
こんないい人がなんでこの歳まで独り身なのかは、俺も良く知らない。
それに人が良すぎてドクター、自身も町外れの屋敷で、小間使いもいない貧乏暮らしだったりする。
まぁ俺らもその辺は立派な貧乏だから、どうってことないけど。
姉貴の方も見てると、けっこうドクターの事意識はしてる。
ただこっちも歳が離れてるのと、自分が弱いのを気にかけてた。実際、今だってちょっとでも何かすると倒れるから、好きな刺繍とか編み物以外は一切させないくらいだ。
てかそれさえ最近は弱ってきて、だんだんペースが落ちてきてるし……。
あんまし考えたくないけど、姉貴も先は長くなさそうだった。
でも、目の前のこの子ほどひどくない。
「どうです?」
「今日か明日が峠だろう。暖かくして、飲めそうなら暖かいものを飲ませてやりなさい」
つまりは、息を引き取るまで看てるしかないってことだ。
それでもまぁ……あの場所であのまま逝くよりマシだろう、そう思いなおす。
2人分診てもらったから、その分いつもより多くお金を渡そうとしたけど、ドクターは受け取らなかった。
「あの子には、何もしてないからね……」
そういうことらしい。
「何かあったら、すぐ呼びに来るんだ。夜中でも構わないから」
「はい」
それからドアのところで姉貴となんかやり取りしてから、ドクターは出て行った。
姉貴がこっちへ戻ってくる。
「やっぱり、無理そう?」
「普通にムリだと思う」
ここまで弱ってるんじゃ、食べ物も喉を通るかどうか。そもそも、目を覚ますかどうかも怪しい。
で、当たり前だけど食べられなきゃ終わりだ。
「ちょっと隣から、スープもらってくる。つゆなら飲めるかもだし」
隣の部屋は中年のおばさんが独り暮らしだった。話じゃ3年前の流行り病で、旦那も子供もいっぺんに全員亡くしたらしい。そのせいか、そのあと隣に越してきた俺たちを、まるで実の子供みたいに可愛がってくれてる。
最近じゃ寝てるほうが多い姉貴を置いて出かけられるのも、実言うとこのおばさんのおかげだ。
手先が器用なおばさんは、昼間出かけずに家で刺繍や編み物をして、それを売って生計立ててた。俺も時々見せてもらうけど、すごい細かくて綺麗なのを作る。
で、時々隣の姉貴の様子を見にきてくれるうえ、自分のと一緒に俺らのスープなんかを毎日作ってくれてた。
――申し訳ないから、毎月ちゃんと食費は渡してるけど。
ともかくそのおかげで、パンとミルクとチーズさえ買って帰れば、あとは夕食にありつける寸法だ。
「お湯、沸かした方がいいかしら?」
「やめろって。こないだかまどの火吹いてるうちに、ひっくり返ったろ? あとで俺がやっから」
あの時は2日寝込まれた。倒れた時に火傷しなかったのが幸いだ。
そんなこと騒いでたら、ドアを叩く音がして隣のおばさんが入ってきた。
「ニール、帰ったのかい?
スープ持ってきたから、早くお食べ。今日は野菜とソーセージだよ」
言いながら台所でスープを移す音が聞こえた後、おばさんがこっちの部屋へ来た。
「ほら、奥になんかこもってないで――どうしたんだい、この子?」
「死に掛けて捨てられてたから、拾ってきたんです」
「なんだって!」
おばさん慌てて、この子の看病始める。
「可哀想に、こんなになるほど放って置かれて。ニール、すぐお湯沸かしとくれ」
「ほい」
と、この子が目を開けた。バタバタうるさくしたのが、マズかったらしい。
「ゴメンな、起こして。今お湯沸かして、スープ持ってきてやっから」
透き通った、でも焦点の合わない瞳が、こっちを向く。
そして、涙がこぼれた。
「お、おい、泣くなって」
思わずそう言ったけど、こいつが泣きたくなる気持ちはよく分かった。
だから、それ以上言わずに頭を撫でてやる。
それから、訊ねた。
「名前、言えるか?」
今訊いとかないと、最後までわからずじまいになりそうで、無理を承知で訊いた。
こいつの唇がかすかに動く。けど、聞き取れない。
耳を寄せる。
「……フィ……ア……」
切れ切れにそう聞こえて、俺は訊き返した。
「フィア、でいいのか?」
そうだと、こいつが僅かに微笑む。
「そか。フィアか。
ここにいて、いいからな。ずっと」
フィアがまた、泣き出した。
◇Fia side
ふと、フィアは目を覚ました。
見慣れない質素な天井。見慣れない質素な部屋。
だが上掛けやシーツは、きちんと洗って陽に干された匂いがした。
――どこだろう?
ぼんやりと考える。
はっきり覚えてるのは、捨てられたところまでだ。
ただ、それを恨む気持ちはなかった。
連れてきた者たちは何度も何度も謝りながら、店からはずっと遠いあの場所に、隠すようにして自分を捨てていった。
あいつに買われるよりは、ずっとマシだから……。
そう言っていた言葉に、偽りはない。
自分でも分かるほどに弱ってきていたフィアだが、完全に動けなくなったのは1週間ほど前だ。
起き上がろうとしても力が入らず、手伝ってもらっても立てなくなった。
もう長くはない、誰もがそう思った数日後。
「お前の買い手が決まった」
そう主が告げ、フィアとたまたま一緒にいた仲間は背筋が冷たくなった。
さらに買い手の名を聞いて、震えあがった。
主は普段は、店の者たちを売らずに『貸し出して』いる。その方が長い間儲かるからだ。
だから『売る』というのは法外な金が積まれた時か――もう稼ぐことが出来ないと思われた時に限られる。
フィアの場合は、明らかに後者だった。
もう動けないフィアに、これ以上お金を稼ぎ出すことは出来ない。ならば死ぬ前に、欲しがる者に売って少しでも稼ごうという魂胆だ。
もちろん普通に考えれば、そんな子供を誰が買うのかと思うが……この世には悪魔も棲んでいる。
どうせ死んでしまうなら、その前に存分に愉しもう、という輩が。
普段は誰が誰に買われても、ともかくうわべだけは無関心を装う皆だが、この時ばかりは互いに囁きあった。
買い手の残忍さと変態ぶりは、よく知られている。それでも今まで誰もさほどの被害がなかったのは、ひとえに店から「貸し出されて」いたからだ。
だが買われてしまえば、その保護もなくなる。何よりフィアには、もう逃げるどころか抵抗する力さえ残っていない。
さすがに今回は、誰もが哀れんだ。
幸いフィアは館の中でも年かさの者たちに可愛がられていて、彼らが行動に出た。主が留守にした隙にフィアを馬車の底に隠し、館の外へとどうにか出したのだ。
主には丸め込んだ医者と一緒に、急に息絶えたと言えばいい。あれだけ弱っていれば、そういうことだって時にはある。
そして死体は、館の中に病気が広がらないように、早々に捨てたと。
ただ身寄りのない者同士、外へ出したものの行く当てはなかった。かといって孤児院などに連れて行けば、すぐ嘘がばれて連れ戻され、フィアはもちろん自分たちまでヒドい目に遭うだろう。
そういうコネが、館の主にはある。
結局僅かな時間ではどうすることも出来ず、館からはなるべく遠い貧民外の奥へ、見つからないように置いていくのが彼らには精一杯だった。
せめて、静かに死ねるようにと。
耳元で何度も謝っていた声を、フィアは覚えている。
同時に、これで安心して死ねると思った。
だから、恨んでなどいない。
――それに。
こんな奇跡が起こったのだから……。
「ゴメンな、起こして。今お湯沸かして、スープ持ってきてやっから」
聞こえた声に、視線をさまよわせる。
あの時自分に「死ぬな」と言った人が、心配そうに覗き込んでいた。
急に涙があふれてくる。
本当は当たり前の――でもフィアにとっては初めて言われた、「死ぬな」という言葉。
ひどく重くて、なのにどうして、こんなに輝く言葉なのだろう?
誰もフィアに、そう言う者はいなかった。館の誰が生きて誰が死のうが、ほとんど関心は示されなかった。
必要なのは商品であって、その「誰か」ではなかったのだから。
「お、おい、泣くなって」
そうは言ったものの彼は、それ以上は何も言わなかった。ただゆっくりと、頭を撫でてくれる。
そういえばこんな世界もあったのだと、フィアはやっと思い出した。
ずっと忘れていた、暖かさ……。
「名前、言えるか?」
訊かれて、フィアは必死で答えた。かすれる声を、やっとの思いで繋ぎ合わせる。
聞き取れないのか、彼が耳を寄せた。
「フィア、でいいのか?」
伝わった、そのことに安心して微笑む。
彼も微笑んだ。
「そか。フィアか。
ここにいて、いいからな。ずっと」
また、フィアの瞳から涙がこぼれた。
◇Neil
ドクターの見立てを裏切って、フィアはけっこうしぶとかった。あれから1週間、相変わらず起きられないし動けないけど、でもちゃんと生きてる。
というより、必死で生きようとしてるみたいだった。拾ったあの時に見せた諦めの表情は、家へ連れて来てからは全く見せてない。
あと意外にも良くなったのが、姉貴の方だった。面倒見る相手が出来たせいで、気力が付いたらしい。
なんせあんなに寝てるしかなかった姉貴が、日中けっこう起きてるんだから、たいしたもんだ。
その姉貴が、フィアが眠ったのを見計らって、俺にそっと話しかけた。
「もっといい薬を飲ませて、美味しいものを食べさせたら、この子良くならない?」
「そりゃ、なるかもだけどさ……」
うちは実言えば、そんなにやたら貧乏ってワケでもなかった。贅沢さえしなきゃ、5年以上働かないで食える程度の金は、親が残してくれてたりする。
ただ、そうそう使うわけにもいかなかった。
なんせ姉貴は弱い。だから今でも薬が欠かせないし、これからだってそうだろう。てか、もっと必要になるかもしれない。
そこへ加えて、フィアだ。
こいつが起きられないのをどうこう言う気は一切ないし、こうなった以上最後までちゃんと面倒見るつもりだけど、やっぱりお金は幾らかかかる。
かといって俺の稼ぎじゃ、暮らすだけで手一杯だ。
けっきょく薬代は親の金を少しづつ食いつぶして出すしかなくて、今までの姉貴の分だけで、残してくれたお金が2割はなくなってる。
――黙ってるけど。
ともかくそんなわけで、今以上には出せなかった。
それをどう言いつくろおうか、考えあぐねて黙ってると、姉貴の方が切り出した。
「あのね、ニール。これ、換金して使ってくれない?」
「え?」
姉貴が俺に差し出したのは、かなり大きな宝石だった。ぱっと見水晶っぽいけど、微妙に黒っぽい色を帯びてて、中のほうでなんか光がゆらゆらしてる。
「なんだこれ? てか、うちにこんなもん、あったのか」
「ゴメンね、内緒にって言われてたから」
なんでも訊けば、姉貴が万一に備えて、ずいぶん昔に親父から持たされたものらしい。もともとはお袋が、どっからか拾うだかして持ってきたんだとか。
「あたしもよく分からないけど、父さんの話じゃ傭兵ギルドへもって行けば、かなりの値が付くらしいの」
「へぇ……」
宝石屋じゃなくて傭兵ギルドってことは、なんか戦う時用のモノなんだろう。
「けど、そんなに簡単に金に換えちまったら、あとで困るだろ?」
「大丈夫よ、あともうひとつあるし、他にもよく分からない秘薬とかあるから」
「………」
ンなに財産あったのか……。
よくよく訊いてみると、俺が持ってて薬代にしてる宝石類も、元々はその手の良くわかんねーモノを換えたらしかった。
用意周到な親父、破格の値が付くヤツはそのまま姉貴に持たせて、それ以外は宝石類に換えて俺に持たせた、ってことらしい。
「使ってあげて。
それにどうせ、あたしも使うんだろうし」
「――分かった」
姉貴がそこまで言うのに、反対は出来なかった。
「これからギルド行って換えてくる。ついでに、なんか旨いモノ買ってくるよ」
と、フィアが目を開けた。どうもまだよく寝込んでなかったらしい。
頭を撫でてやる。
「ちょっと出かけてくっから。帰ってきたら、旨いモノ食わせてやっからな」
どこへ行くんだろう、そんな顔をちょっとだけしたあと、フィアは微笑んだ。『いってらっしゃい』の意味なんだろう。
けど次の瞬間、はっとフィアが表情を変える。
必死に俺のほうへ、手を伸ばそうとする。
「おい、どした?」
フィアの視線を追う。
――俺の手の中。
姉貴からもらった、よくわかんない宝石だ。
「これか?」
わずかに、でも必死にうなずくフィアの様子に、俺は宝石を渡してやった。
一瞬光る。
「え……?」
次の瞬間かなり大きいはずの謎の宝石が、綺麗さっぱり消え失せてた。
そしてフィアが肩で息をしながら、ベッドに手をついて起き上がる。
「フィア?」
「ごめんなさい、だいじょうぶ……」
鈴の音みたいな透き通った声が、はっきり返って来た。
「動けるのか?」
「――はい」
まだちょっと辛そうだけど、たしかにフィアはしっかり起き上がってた。声も良く出せないほど弱ってたさっきとは、大違いだ。
「こーゆー使い方するもんだったのか」
「いえ、普通はちょっと、違うんですけど……」
なんかよく分からない。
でもフィアが動けるようになったから、他の事はどうでもいい気もした。
「まぁいいや、治ったんだから。
あ、まだ寝てろよ? ずっと寝てたんだから、急に動いたらまた倒れるぞ」
ともかく一安心だ。
「なんか食いたいものあるか?」
「えっと……」
まだ食欲さほどないらしい。
だとすると、無難にパンとミルクと――とか考えてたら、姉貴が口を挟んだ。
「それよりニール、フィアの服が先でしょう?」
「え? あ……」
そんなもんすっかり忘れてた。
確かに言われてみればフィア、俺のシャツを着せてるだけだったりする。寝てる間はそれでも構わなかったけど、こーなったらそうもいかないだろう。
けど俺に、そんなもん買えって言われても困るわけで……。
「あ〜、それえーと、明日にでもおばさんに頼んで見繕ってもらって、とりあえず今日はなんか旨いモノ――」
自分でも何言ってるかよくわかんね。
けど幸い、言いたいことは通じたみたいで、2人が笑った。
「そしたらあの、あたし、お湯……」
「だから寝てろって。そのうち元気なったら、やってくれればいいからさ。
ともかく今日はおばさんも呼んで、みんなで快気祝いだ」
言いながらほとんど無理やり、姉貴とフィアとをベッドに押し込む。
それから隣のおばさんに事の次第を話して、俺は上機嫌で買い物に繰り出した。
◇Fia side
――まだ、生きてるんだ。
目が覚めるたびに思う。
全く動けないのに、声も出せないのに、ほとんど飲まず食わずなのに、それでもフィアは死なずに居た。
だから思う。もう少し、生きてみようと。
せめて今日は、出来たら明日も、そう思って気づけば数日が過ぎていた。
そのことに自分でも驚く。捨てられた時にはもう、その日のうちに死ぬだろうと、自分でも思っていたのだから。
ただ、良くなるようには思えなかった。残念ながら自分の身体に、そういう気配は全く見えない。
それでも。
あの助けてくれた彼――ニールと言うらしい――が、ことあるごとにフィアを覗き込んでは話しかけ、頭を撫で、スープなどを食べさせてくれ、励ましてくれる。
それが嬉しくて応えたくて、フィアは必死に生きていた。
この身体では、何も返せない。
それならせめて、「がんばれ」と言う言葉に応えたかった。
館に居た時は、こんなふうに面倒をみてもらうことなどなかった。誰もが自分の身を守るのに必死で、他人まで手が回らなかった。
だからそれしか知らずに育ってきたフィアには……この暖かさは天上にも匹敵するものだったのだ。
まどろみながら、人の気配を感じて目を覚まし、少し相手をしてもらってまたまどろむ。
フィアが目を覚ますたび、身体が弱いらしいお姉さん――こちらはイルゼと言った――も、とても喜んだ。
最初はそんなに起きていて大丈夫なのかと、ぼんやりとした頭で考えたりしたが、どうも平気らしかった。話し声を聞いていた限りでは、どうやら振ってわいた妹?の面倒を見るのが楽しくて、体調が良くなったのだという。
それなら尚更と、フィアも自分を励ます。
――もう少し、生きられるところまで。
――みんなが、悲しまないように。
だからその時も、話し声で目を覚ました。
フィアが目を覚ましたのに気づいて、彼が頭を撫でてくれる。
「ちょっと出かけてくっから。帰ってきたら、旨いモノ食わせてやっからな」
言えない『いってらっしゃい』の代わりのつもりで微笑むと、彼も笑った。
と、視界に入ったものにはっとする。
何かは知らない。見たこともない。
だが、身体の奥底から何かが告げた。『あれ』が必要だと。
必死に手を伸ばす。
指先だけでも触れれば、それで十分なはずだ。本能がそう告げている。
「おい、どした?」
フィアの様子に、彼が気づいた。
「これか?」
必死にうなずく。
不思議そうな表情のままフィアの手に、彼がその宝石を握らせた。
「え……?」
彼の驚いたような声と共に光が満ちる。
心が大きく息をつく。
――生き延びた。
全身がそう謳った。
まだ辛いが、身体は動く。そのままフィアは、ベッドに手を付いて起き上がった。
「フィア?」
「ごめんなさい、だいじょうぶ……」
久しぶりに、自分で自分の声を聞く。
「動けるのか?」
「――はい」
ずっと寝ていたせいだろう、まだ少し辛い。が、それだけだった。動けなかったほんの少し前までとは、雲泥の差だ。
「こーゆー使い方するもんだったのか」
「いえ、普通はちょっと、違うんですけど……」
訊かれて、説明に窮する。
取り込んだ今なら分かるが、これは精霊の類だ。「力ある石」とも言われる。
それでも瀕死の病人が治るとは思えないのだが……自分の場合は、この石の力が上手く作用するらしかった。
ただ、これが何かも知らない相手に、どう説明したら理解出来るのかと困り果てる。
が、先に彼のほうが諦めた。
「まぁいいや、治ったんだから」
結局はそういうことだ。
戦乱の続く今の世の中、過程や理由をとやかく言う人間は少なかった。過程よりも、食べられた、生き延びたという結果の方が重要なのだ。
彼が優しい笑顔を向ける。
「あ、まだ寝てろよ? ずっと寝てたんだから、急に動いたらまた倒れるぞ」
うなずいて横になると――実際ずっと起きているとまだ辛い――彼が毛布をかけてくれた。
「なんか食いたいものあるか?」
「えっと……」
ずっと食べていなかったせいか、さすがにまだ食欲がない。
困っていると、隣からお姉さんが口を挟んだ。
「それよりニール、フィアの服が先でしょう?」
「え? あ……」
突拍子もないことを言われて、今度は彼が答えに窮する。
「あ〜、それえーと、明日にでも俺……じゃなくておばさんに頼んで見繕ってもらって、とりあえず今日はなんか旨いモノ――」
女物の服と言うのが効いたのだろう。慌てぶりがおかしい。
久しぶりにこんなふうに笑った。そう思いながらフィアは、起き上がりながら切り出した。
「そしたらあの、あたし、お湯……」
「だから寝てろって。そのうち元気なったら、やってくれればいいからさ。
ともかく今日はおばさんも呼んで、みんなで快気祝いだ」
じゃぁ行ってくると、足取りも軽く出て行くニールの後姿に、フィアも嬉しさを覚えながらまたベッドにもぐりこんだ。
◇Neil
フィアはあれっきり、嘘みたいに元気になった。半月以上過ぎてるけどなんでもなくて、朝から毎日普通に起きてる。
ただ……料理とかは致命的だ。ぜんぜん任せられない。
あんまりヒドいんで訊いてみたら、一度もやったことないって話だった。それも作ってるとこさえ、見たことないって言う。
もちろん、洗濯その他もしたことないんだとか。
思い出したくないらしくて、ここへ来る前のことはほとんど話さないから、なんでそうなのかはよく分からない。
でもたまに、ぽつぽつ言う話をまとめると、暮らし自体は貴族並だったみたいだ。黒パン知らねーし、砂糖とか普通に使ってたっぽいし、上等なお菓子も食べてたらしい。
他にも字が読めて書けて、すごい複雑な計算も簡単にやってのける。俺なんか訊いたこともない詩とかも、すらすら暗誦できる。
あとは刺繍とか。
つまりが、まるっきり貴族の娘みたいな状態だ。
それが病気?になって動けなくなって、放り出されたってとこなんだろう。
もっとも俺らに言わせりゃ、元気になったし姉貴の話し相手にもなるし、細かい買い物とかやってくれるしで、とりあえずは言う事なしだった。
「こりゃすごいねぇ、たいしたもんだ」
フィアに売り上げの計算任せてた隣のおばさんが、感心して声をあげてる。
「あとこれに、今日持ってく分で……合わせて2万ルルシ、払ってもらえると思います」
「なんだって!」
こんどは素っ頓狂な声があがった。
「いつもこんだけ持ってくとあの親父、1万8千ルルシだって言ってたんだよ。なんてこった」
「でも全部で、1万ルルシが1枚と、5千ルルシが1枚、1千ルルシが5枚ですから……」
要するにおばさん、ボられてたらしい。
「ったくあの親父、人が難しい計算出来ないと思って!
今度からあいつのとこじゃなくて、違うとこへ持ってこうかね」
かなり怒ってるし。
「ただ、あそこ安いんだよねぇ……」
「幾らなんですか?」
フィアに訊かれて、おばさんが答える。
「この、いちばん小さいのあるだろ?
当面これだけでよくて、10枚も納めるのにたった1万3千ルルシだってんだよ。だからどうもねぇ……」
「あの、それ……そっちの方が、単価高いですよ?」
「え?」
さらっとフィアは言ったけど、ここに居る全員、何のことか分かんなかった。
「えぇと、今納めてるところは、この小さいのは1千ルルシですよね?」
「ああ、そうだよ」
ここまでは俺でも分かる。
「でも新しいところは、10枚で1万3千ルルシだから、1枚は1300ルルシですし……」
「そ、そうなのかい!?」
おばさんが唖然とする。
「えーとその、そうすると何かい? 違うとこへ納めた方が、高くなるのかい?!」
「納める数によりますけど……」
俺らが計算苦手だから、フィアも説明が難しいらしい。
「もし、新しいところに小さいのを18枚納めたとしたら……2万と400ルルシになりますから」
「そうだったのかい……」
つまり、単にボられてただけじゃなくて、徹底的にボられてたっぽい。
「小さい方が、やっぱり作るのは早いんだよねぇ。
このいちばん大きいの1枚やる間に、10枚近く出来るんだ。中くらいのと比べても、5枚は出来るし」
「それだと……この大きいのを1枚と中くらいのを2枚作る間に、小さいのは20枚近く出来ますけど……」
「………」
さすがのおばさんも絶句する。
「まるっきり向こうの方が、楽で儲かるとはねぇ。
――あの強欲親父め!」
俺も思わず、横から口を出す。
「おばさん、いっそ卸し先変えちまえよ」
「ああ、明日これ納めたら、変えることにするよ。
そうそう、今日のスープはさっき、そこのかまどに置いといたからね。後でお食べ」
言って暗くなり始めた廊下へ、おばさんが出てく。と、今度は入れ替わりに、近くの鍛冶屋のおっさんが入ってきた。
「すまんが、フィアちゃんヒマかね?」
「あ、はい」
フィアが振り向いて立ち上がる。
「その……なんだ、もし時間があったらこの手紙読んで、返事書いてもらえんかね?」
「はい、すぐ読みますね」
最近人づてに伝わったらしくて、読み書きが堪能なフィアのとこへは、ちょくちょくこうやって手紙とかが持ち込まれてた。
フィアも役に立つのが嬉しいのか、それともモトからお人好しなのか、イヤな顔ひとつしないで引き受ける。
ただ、それだとまるっきりタダ働きなワケで。
鍛冶屋のおっさんに囁く。
(あとでフィアに、小遣いくらいはやってくださいよ? じゃないと、コイツ働きに出さないとならないんで)
(分かっとる分かっとる、心配すんな)
俺らのヒソヒソ話には幸い、フィアは気づかなかったらしくて、そのまま手紙を読み始めた。
「えっと、親愛なる兄上へ。うちのいちばん下の娘の結婚が決まりました――」
めでたい話らしい。
フィアの声を背中で聞きながら、かまどに火を入れる。
「フィアちゃん、すっかりいいみたいね」
「ああ」
姉貴も起きてきて、その辺を手伝い始めた。
「それにしてもあの子、前はどこにいたのかしら? 読み書きも計算も上手だし」
「言わねぇからなぁ……」
当人が言いたがらないのに、ムリヤリ聞き出すわけにもいかないし。
「ま、なんでもいいんじゃね? 今はここにいるんだしさ」
「それもそうね」
話しながらパンとチーズ切ってスープかき回して、ついでに買ってきた果物並べて、肉を包みから出してみる。
「あら、今日はご馳走じゃない」
「親方がさ、小遣いくれたんだよ。これでフィアに、いいもの食わしてやれって」
なんでも話じゃ、昨日近所へお遣いに出たフィアが、親方のおかみさんが野良犬に噛まれそうになったとこを助けたらしい。
「意外とすごいのねぇ、あの子」
「俺もそれは思った」
間に割って入って睨みつけたら逃げてったっていうけど、それにしたってたいしたもんだ。
ちなみにフィア自身は、野良犬撃退したあとこっそり帰っちまったらしい。おかみさんがその辺の人に話を聞いて初めて、誰だか分かったんだとか。
「鍛冶屋のおっさん帰ったら、隣のおばさん呼んで、みんなでこの肉食べようぜ」
「おばさんなら、さっきまでここにいたじゃない」
何を馬鹿なことを、姉貴の視線がそう言ってる。
「――マジでご馳走あんの、忘れてた」
フィアの計算技に気ぃ取られて、すっぽり抜け落ちたってやつだ。
姉貴が笑う。
「ホント、いつもながらそそっかしいんだから。
今のうちに知らせてくる。おばさんが何か食べちゃったら、もったいないでしょ」
姉貴が暗くなった廊下へ出てく。
向こうじゃ代筆が始まったんだろう、鍛冶屋のオヤジがフィアとなんだか、話す声が聞こえ始めた。
しばらくそれを聞いてから、肉を切り分ける。
「えーと、塩……」
姉貴がすぐ帰って来ないのは、行った先でおばさんと話し込んでんだろう。
まぁ、こないだまで起きてるほうが珍しかったの思えば、ずいぶんいいってやつだ。
と、影が差した。
「ん? フィア終わったのか?」
「……うん」
俺らにだいぶ慣れたらしくて、フィアの口調は前に比べて、かしこまったとこがなくなってきてた。
ただ性分なのか、エラく大人しくて内気だ。今だって俺の隣で、なんか言いたそうなのに黙って立ってる。
「どした?」
埒あかないからこっちから訊いたら、フィアが手を差し出した。
「あの、これ……」
手のひらに乗ってたのは、小銭だ。きっとさっきの鍛冶屋の親父に、もらったんだろう。
「良かったな、小遣いもらったのか」
けどこいつ、動かない。
「あの親父に、なんか言われたのか?」
そう訊いたら、フィアはふるふると首振った。
消えそうな声で、やっと言い出す。
「あたし……働いてないから、これ……」
「――悪りぃ、聞いてたのか」
こいつの手に、俺はその小銭を握らせた。
「あぁ言わなきゃお前このまま、いいようにコキ使われちまうとおもってさ……ゴメンな。
金のことは気にすんなって。お前の食いぶちくらい、どーにでもなる」
「でも……」
泣き出しそうな顔でまだ言ってるフィアに、俺は返す。
「だから、気にすんなって。
お前、ここんちの人間だろ? なのにンなこと気にしてどーすんだよ」
ついでに、姉貴もお前のおかげで元気になったって付け加えたら、今度こそフィアが泣き出した。
――どうすりゃいいんだ。
泣いてる女の子の相手なんて、俺したことねーわけで……姉貴あれで意外と気ぃ強くて、泣いてんの見たことねーし。
どうすることもできねーで、とりあえず頭を撫でてみる。
――え?
悲しみ、諦め、喜び、安堵、そーゆーいろんなもんが、俺の中に湧き上がった。
いや、違う。
俺自身は混乱してパニくってるだけで、これは――フィアのだ。
今まで一言も言わなかった、こいつの想い、辛さ、そういったモノが流れ込んでくる。
同時に、以前何があったのかも。
「そんなん、ナシだろ……」
言葉が口をついて出た。
締め付けられるような辛さと諦めに、思わずこいつを抱き寄せる。
ナシだ。こんなん、ぜったいナシだ。
なのにこいつは誰を恨むでもなく、ただ諦めてどこまでも透明で……。
かける言葉が見つかんなかった。ヘタな慰めなんて、届くようなモンじゃない。
だから何も言えなくて――けど俺が何か言うより先に、こいつの方が先に涙ぬぐって顔を上げた。
そして、言う。
「ありがとう……」
まだ泣きそうな顔で、でも極上の笑顔で。
「だから、いいんだって」
「――うん」
今度は落ち着いたらしくて、ホントの笑顔を見せる。
「さ、メシにしようぜ。姉貴とおばさん、呼んできてくれっか?」
フィアのヤツはもう一度微笑んでうなずくと、身を翻して外へ出て行った。