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◆遠き風に願いし君は◆

written by こっこ

4:招聘


◇Neil
 フィアはまた、何かと寝込むようになった。
 っても、最初よりはずっといい。あんなふうにまったく動けないわけじゃなくて、ちょっと起きるとすぐ疲れて、って程度だ。
 原因は……あの津波の時のことで、間違いないだろう。
 いま居るのは丘の裏側の、ドクターの別邸だ。
 丘の上にあった館のほうは、あの爆風で半壊した。町を追われて身を寄せてた人たちも、かなりの数が巻き込まれて、怪我したり亡くなったりしてる。
 ともかくあっちは住めるような状態じゃなくて、仕方なく俺たちはみんな、あそこを捨てた。
 ここは向こうよりかなり狭くて、同じくらい荒れ果ててるけど、まだ住めるだけマシだ。いまじゃ町のほうも、住める場所なんてほんの少しになってる。
 貧民外は、文字通り壊滅。町の繁栄を担ってた港も、爆風でやられた船の残骸とか、そういうのがあって使えない。城壁に守られた市街の一部が、どうにか生き延びた感じだった。
 すべてが動かなくなって、町の人間のかなりが、領主からの配給で食いつないでる。
「この町に、いつまで居られるんかな」
「そうねぇ……」
 ドクターが駆り出されて居ないあいだに、姉貴とこれからのことを話す。ずっと厄介になるわけにもいかないし、何よりこういうことになった町は、先行きがたいていヤバい。
 港さえ動き出せば、まだ荷が来るからどうにかなりそうだけど、見通しは立ってなかった。
 そういうのを考え合わせると、ここを出るって選択肢も、十分ありそうだ。
「隣町とか、噂じゃどうなの?」
「ここよりマシだけど、そんでもこないだの爆風で、だいぶ被害出てるってさ。
 そこへこの町からけっこう避難民が行ったんで、摩擦起きてるらしい」
 どこの町だって、新参者ってのは歓迎されない。俺らが故郷捨ててここに落ち着いたのも、この町がここらじゃいちばん大きくて、新参者をそれほど嫌わなかったからだ。
 加えて天災で被害が出てるんじゃ、町にも余裕なんてあるわけがない。
 穏便になんていくわけなかった。
「だとすると、ここでどうにかやってくか、どこかもっと大きいところへ行くかよね」
「もっと大きいって姉貴、それいちばん近いの王都だぞ?」
 王都ってだけあって、この国でも最大だけど、代わりに軍やなんかも最大規模だ。ほかに古くから下町を牛耳ってる連中もいるとか、あんまりいい噂は聞かない。
「それにさ、いまフィア動かせねーし」
 弱ってるのに引越しとか、よけい悪くするだけだ。
 ともかくしばらくは様子見て、それから考える。それ以外にやりようがないだろう。
 そのとき、乱暴に戸が叩かれた。
「誰かいないのか!」
 言い方といい叩き方といい、何か横柄だ。
 顔を見合わせてから、俺らは急いで戸を開けた。
「王立、軍……?」
 外に居たのは、白く輝く鎧の一団だった。甲冑の胸に燦然と輝く王国の紋が、所属と権威を物語ってる。
「ノエアド伯爵の住まいに相違ないか?」
 ノエアドってのは、ドクターの名前だ。
「はい、そうです。でもここの主人は、いま出かけておりまして……」
 姉貴が答える。
「さようか。だが今日は、伯に用ではない。ここに年のころは十ほどの女の子が、いると聞いたが」
 フィアのことだ。
 どう答えようか迷ってると、鎧の一団の間から、上等な服を着た初老の男が前へ出てきた。どこかで見たことある顔だ。
「君らはなんだね? 物取りではなさそうだが――小間使いか?」
 いきなり神経逆撫でするような事を言う。
「私たちは先日の騒ぎで家を失くしまして、ここで世話になっている者です」
 さすが姉貴、冷静だ。
「そうか。ならば入らせてもらう」
 エラそうな態度で、強引に入ってこようとする。
「ちょっと待てよ、あんた誰――」
「無礼者!」
 耳がどうかなりそうな大喝とともに、白鎧に突き飛ばされた。
「よいよい、下々がこの顔を知らぬでも、やむを得まい。ここの領主、ドムイヌじゃ。忘れぬようにな」
 ここの領主って言えば、たしか国王に近い血筋の人で、貴族の中でもトップクラスの有力者だ。それを考えると、かなり気さくな人なんだろう。
 けどこの言い方とか、悪意なく見下されてる感じだった。
「して、ここに娘御はおるのか? 先日の津波を食い止めた、巫女の末裔がおると聞いたのだが」
「巫女の、末裔……?」
 何のことだか分からない。でも、フィアに関係あることなんだろう。
「あの、何のことか、分かりかねます」
 姉貴が正直に言ったら、周りの白鎧がいきり立った。
「何を言う、きさまらきちんと答えよ!」
 それをまた、領主とやらが制す。気さくなだけじゃなくて、温和な人でもあるらしい。
「そんなに騒ぐでない、テアドよ。下々が話を知らぬのは、致し方ないこと。
――そなたら、この世界の成り立ちは知っておるか?」
 考え込む。
 たしか子どもの頃聞いたのは、むかしむかしカミサマとやらがいて人間を作ったけど、気に入らなくて滅ぼそうとした。でも人間は戦って地上を手に入れて、天と地は行き来できなくなった、って話だ。
 それを言ってみる。
「そうじゃ。無学なわりには、よく知っておるではないか」
 この人は褒めてるつもりなんだろうけど、ものすごく嫌味な言い方だ。
「して少年よ、教えておこう。そのさらにむかし神代の時代に、神の代理人たる神官と、巫女とがいたのだよ」
 やっと巫女がなんなのかを理解する。
「言い伝えでは、巫女は強大な力を持っておったという。また娘御は、あの津波を食い止めたという。
 巫女の末裔に相違なかろう。ほかにあのようなことが出来る者、おるとは思えぬ」
 何かヤバい気がした。
 フィアが何か力を持ってるのは、間違いない。けどそれは俺にとっては、別に怖くもなんともなかった。あいつはそういうことはしない。
 ただ、俺にはその程度のことでも……ほかの連中にはたぶん違う。現にあれだけ良くしてくれた隣のおばさんや、貧民街の人たちは、フィアを避けてた。
 出かけた先でいつも言われる。助かった、感謝してる、でも――あの娘が怖いと。そして申しわけなさそうな顔で、なけなしの中からお礼と称して何かをくれて、そそくさと立ち去るばっかりだった。
 そんなフィアに、目をつけるヤツがいたとしたら?
 この目の前の、見たとこ温和そうな領主が、それを考えてたとしたら?
「それで、娘御は奥か? 入らせてもらうぞ」
 ずかずかと一団が入ってくる。
 およそ貴族の別邸とは思えない荒れた室内を、領主が見回して面白そうに言った。
「ノエアド伯はこだわらぬと聞いておったが、話以上じゃな。若いのに酔狂なことよ。
 そこの者たち、巫女の末裔の部屋まで案内――」
 領主の言葉が途切れる。
 何ごとかと思ったんだろう、出てきて姿を見せたフィアに、来てた連中の誰もが息を飲んだ。
「これが、巫女の末裔……」
 淡い色の髪。透き通った瞳。白磁の肌。
「神の力を受け継ぐ、というだけのことはあるの。なんと美しいことよ」
 これだけは素直な賞賛。
 と、領主が恭しくフィアに一礼して、言った。
「巫女の末裔よ、お迎えにあがりました。国王陛下よりの招聘でございます。
 陛下は巫女様をぜひ王宮へ迎え入れ、国の護りとして丁重にもてなしたいと仰っております」
「え……」
 予想もしなかった話に、フィアが戸惑う。
「さ、巫女様こちらへ」
 領主がフィアの手を取る。
「いやっ……」
 それを聞いた瞬間、俺は動いてた。領主の手を払いのけて、フィアを後ろにかばう。
「きさまっ!」
 次の瞬間、何かが閃いて本能的に動いて――衝撃。
 焼けたような熱さ。それから激痛。
「ニールっ!」
 フィアと姉貴の叫び声が遠く聞こえる。
「ほう、ぎりぎりとはいえ避けて急所を外すとは、大したものだ」
 血のついた剣が振り上げられる。
「お願い、やめてっ!」
 フィアの後ろ姿が、俺の視界をふさいだ。
――あれ?
 フィアの姿と床の傾きで、いつの間にか倒れてたことに、やっと気づく。
「そこをお退きください、巫女様。こやつの数々の無礼、さすがに捨てて置けませぬ」
「やめて、お願い! 行きます、いっしょに行くからやめて、殺さないで!」
 そんなこと言うなと言いたいのに、声が出ない。動けない。
 身体が冷えていくのが分かった。
「では巫女様、こちらへ」
「待って、ニールに手当てを……」
 何か人が動く気配がして、誰かが俺を覗き込んだ。
「傷が深くて、手持ちの道具では応急手当しか」
「それで良い。巫女様の希望だ、ともかく叶えて差し上げろ」
 俺の身体の向きが変えられる。
 その視線の先に、フィアが歩いてきた。
「ごめん……」
 その瞳には、涙。
 泣かせたくなかった。
 なのに、声も出ない。
「あのね、これ……」
 フィアが、助けたときからかけていたペンダントを外して、俺の手に握らせる。
 そして、身を翻した。
「巫女様、お早く」
 ペンダントと血の足跡を残して、フィアは去った。

◇Fia Side
 王都は、遠かった。
 あれからどのくらい経ったのか、とうに日を数えることをやめてしまったフィアには、もう分からない。がたがたと揺れる寝台の上で、ニールに生きていてほしい、それだけを願いながら空を見る毎日だった。
 あそこで応急手当だけはしたのだから、生きているはず。ずっとそう、自分に言い聞かせている。
 ほんとうは、すぐにでも帰りたかった。ニールのそばに居たかった。だが恐れていた自分の内なるものは、予想もしなかった結果を生み、周囲を傷つけてしまう。
 だから……帰れない。
 やがて揺れが収まり、人影が覗いた。
「巫女様、お加減はいかがですか?」
 声をかけてきた男性に、フィアはちいさくうなずく。
「失礼いたします」
 侍医役を務めている部隊の医務官が入ってきて、熱をはかり、脈を取る。
 ただでさえ弱っていたフィアを、この旅はさらに痛めつけた。
 よほど急いでいたのだろう、最初は足の速い走竜の背に、直接乗ってだった。が、半日と起きていられないフィアはすぐに倒れてしまい、一行は慌てて竜車を用意した。
 だがそれに座しての旅もフィアは耐えられず、いったん途中の宿場へ逗留し、改めて極上の寝台車が用意された。今はそれに乗せられて、ゆっくりと進んでいる。
 柔らかな毛が厚く詰められた寝台は、どこか当たったりということはない。上掛けも選りすぐりの羽毛や羽根が使われていて、軽く暖かだ。
 しかしそれでも、フィアには辛い旅だった。
 揺れる寝台は落ち着かず、ゆっくりと休めない。昼も大半は横になって過ごしていた少女には、これは厳しかった。
 ただ、揺れかたは前よりいくぶん小さくなっている。それだけ整備された道に来たのなら、そろそろ王都が近いのかもしれない。
「何か、召し上がりますか?」
 問いに対して首を振る。無理やりの長旅に加え、連れ出されたときのニールの件も手伝って、いまはほとんど食べ物が喉を通らなかった。
「ですが、何か召し上がりませんと……果汁でも、いかがですか?」
 言いながら医務官はそっとフィアを起こし、背にいくつものクッションをあてがって、寄りかかれるようにする。
「さ、どうぞ」
 最初から飲ませる気だったのだろう、後ろにうやうやしく盆を捧げ持った小姓が居た。
 吸い飲み――コップはすでにムリ――が口にあてがわれる。それを少しづつ、やっと半分だけフィアは飲んだ。
 それだけで疲れてしまって、朦朧としてくる。
「巫女様?」
 医務官に呼ばれたのは分かるが、答える気力はもうなかった。
 何度か呼ばれたが、そのうち諦めたのだろう。身体がそっと横にされ、またがたがたと寝台車が揺れ始めた。
 まどろみながら、想う。路地裏で拾われ、初めてまともに扱われた日々を。
 幸せだった。
 とりたてて何もない、だからこそ幸せな日々。
 もう戻れないと知りながら、戻ることばかりを夢見ている。こうしてまどろんで目を開けたら、またニールの顔が目の前にありそうな気がする。
 彼の名を想った瞬間、ずきりと胸の奥が痛んだ。
 自分のせいで、ニールは死んだかもしれない。生きていると信じているが、それはただの幻想かもしれない。
 せめて、それだけでも分かれば……。
 寝台車は何度か止まることを繰り返し、ついに王都に入ったようだった。車輪の立てる音にかき消されがちだが、それでも都会独特の喧騒が聞こえてくる。
 元いた町はどっちだろう、とフィアはぼんやり思った。
 たしか「王都は西」と言っていたから、東へずっと行けば、帰れるのだろうか?
「巫女様をお連れとな?」
「はっ、さようであります」
 何か話し声が聞こえてくる。
「伝鳥で話は聞いていたが……ほう、なんと美しい」
 たぶん誰かが覗いているのだろうが、まぶたを持ち上げる力もなかった。
 それからもしばらく、周囲のやり取りは続く。
 と、それに慌しさが加わった。
「陛下のお成りです!」
 誰かがフィアを、そっとゆする。
「巫女様、目をお開けください。陛下がお見えです」
 うながされて、フィアはやっとの思いで目を開けた。目の前に筋骨隆々の、豪奢な身なりの男がいる。
「なるほどたしかに美しいが、ずいぶん弱っておるな。これはどういうことだ?」
 男が言うと、周囲の人間が平伏した。
「その、長旅が祟りまして」
「さようか。いずれにせよ、これはならぬ。どうにかせよ」
「はっ……」
 誰もが頭を垂れる。
 この人物が自分と、その力を欲したのだと、やっとフィアは理解した。
 なぜこんなものを欲しがるのか、と思う。差し出せるくらいなら、今すぐ差し出したいくらいだ。
 昔から奥にくすぶるこの力は、フィアにとっては恐怖でしかなかった。
 いつ牙を向くか分からないもの。
 いつ自分を食い尽くすか分からないもの。
 見ぬ振り、気づかぬ振りをして、ずっとやり過ごしてきた。だからもう動けなくなったとき、心のどこかでほっとしていた。もう、向き合わなくてすむと。
――だが結局、逃れられなかった。
 身体が持ち上げられる。
「巫女様、いまお部屋へ」
 その連れて行かれた部屋で、何を要求されるのだろう?
 怯えながらも、フィアは従うしかなかった。

◇Ilze side
 弟の傷は深かった。医務官が手当てしてくれたおかげで生きてはいるが、予断を許さない状況だ。
「ニール……」
 冷たい頬にそっと触れる。
 弟は、眠り続けたままだ。もしかしたら二度と、目覚めないかもしれない。
 手にはあのペンダントを、握り締めたままだった。最初取ろうとしたのだが、どうしても放そうとせず、諦めた。
 なぜこんなことに、と思う。
 フィアが悪いわけではない。むしろ、可哀想な子だ。得体の知れない部分はたしかにあったが、それを誇示するでもなく、ただふつうに暮らせることをあの子は喜んでいた。
 そのフィアを可愛がっていたニールが、とっさに前へ出たことも、責められることではない。誰でも身内や大切な友人が連れ去られそうになれば、ああするだろう。
 けっきょく自分たちのような者は、泣き寝入りするしかないのだ。あの白鎧の仕打ちにも、フィアを連れて行かれたことにも、意を唱えること自体が許されない。
 むしろ、自分たちは破格に恵まれているほうだろう。ふつうの者ならこんなことになっても、手当てもしてもらえなければ医者にかかることもない。そのまま野垂れ死ぬのがオチだ。
 運良く上層に生まれないかぎり、そういうものだった。
「様子はどうだい?」
 呼び出されて、仕方なく町へ出ていたドクターが、戻ってきた。
「おかえりなさい。ニールは……相変わらず」
 上手く言葉にならない。
 ドクターは外套をかけると、手際よく弟の傷を診始めた。
「傷そのものは、それほどでもないんだが。熱も持っていないし。ただ、かなり血を失くしたからね」
 実際はもっと酷いはずなのだが、気遣ってそう言ってくれているのだろう。いくら素人のイルゼとはいえ、そのくらいのことはさすがに分かる。
「やっぱりもう、ムリかしら」
 彼女の言葉に、ドクターがはっとした表情を見せた。状況を理解していることに、気づいたらしい。
「この子に、何もしてやれてないの……」
 父親も亡くなり身寄りがなくなってからは、この弟が働いて支えてくれた。
 寝込みがちな自分と違い、弟は病気ひとつしたことがないほど丈夫だ。身体も年より大きく、年齢を偽って働いていた。両親の残してくれたお金を、たいして使わずにやってこれたのは、すべてニールのおかげだ。
 だからニールが、連れてきたフィアに惹かれてると気づいたとき、イルゼは一も二もなく賛成だった。いつまで生きられるか分からない姉などより、違うものを見て欲しかったのだ。
 なのに……こんな結果になるとは。
「死んだら、どうしよう」
「大丈夫、死なせないよ」
 言葉の強さに驚いて、イルゼは顔を上げた。
「きみの大事な弟を、死なせたりしない。それに万が一働けなくなっても、ここに居ればいい」
「え……」
 言われた言葉を理解して飲み込むまでに、時間がかかった。
「でも、それじゃ、ドクターが」
「構わないさ。ただ、見てのとおり贅沢ができないけどね」
 視線が合う。
 だがそのとき、ドアが叩かれた。
 先日の件を思い出して、思わずイルゼは身を硬くする。
 ドクターが用心深くドアに寄り、返事をした。
「どなたです?」
「旅の者です。武器は持っていますが、使うつもりはありません」
 言葉に続いて、金属の触れ合う音がした。ドクターが小さな覗き窓から、外の様子を確かめる。
「武器を手放してるな。敵対する気はなさそうだ」
「でも、隠してたら」
 自分でも疑いすぎだとは思うが、心の底から信用できなかった。これ以上、何かあってほしくない。
「ドア越しでも構いませんので、お話を聞かせていただけませんか?」
 これには驚く。
「何かする気は、本当になさそうだね」
「ええ」
 荒っぽい用事なら、ドア越しということはさすがにないだろう。
 もういちどドクターが覗き窓から外を見る。が、次の瞬間彼は大きくドアを開けた。
「ドクター?」
 イルゼの困惑をよそに、彼はおもてへ歩み出る。
「そこの魔法医のかた、お願いです。こちらに重体の患者がいるのですが、診ていただけませんか?」
 言葉を失う。医者が医者に頼むなど、前代未聞だ。自分の腕が足りないと、言うに等しいのだから。
 逆に言うならそんなプライドを捨ててでも、ニールを助けようとしている、ということだった。
「お礼でしたら、何とかします。ですので、お願いしたいのですが」
「お礼などは要りません。我々に話を聞かせていただければ十分です。あとできれば、全員中へ入れていただければ」
 一瞬ドクターが考え込んだが、すぐに彼は答えた。
「分かりました、みなさんどうぞお入りください」
 この言葉に、一行のリーダーらしき人物が目配せし、後ろのほうから魔法医が歩み出る。
「患者はどちらに?」
「この奥です。剣で急所ぎりぎりを突かれて、かなり失血しています。あとは魔法しか手がありません」
 二人が話しながら、奥へと消えた。
 入れ替わるようにして、一団が部屋へ入ってくる。
 つい警戒したイルゼに向かい、一行のリーダーは気さくに話しかけてきた。
「お若いが、立派なかたですな」
「あ、はい」
 先日の白鎧たちとは、少々違うようだ。
「失礼ですが、こちらの奥方ですか? それとも妹君でしょうか?
 ともかく、椅子にかけてたほうがいいのでは? だいぶ顔色がお悪いですぞ」
「あの、でも、お客様が立っているのに座れません」
 イルゼがそう返すと、一行の誰もが優しい笑みを見せた。
「我々は慣れているので。
 けれどあなたは、だいぶお疲れのようだ。遠慮せずに座ってください」
 再度勧められて、イルゼは腰を下ろした。正直なところ、立っているのは辛かったのだ。
「奥に、怪我人がいるようですが」
「はい。私の……弟です」
 一行の間に、軽い驚きが走った。
「それはなんとも……ですが、なぜ?」
 もっともな疑問だった。庶民が兵に剣で突かれるのは、滅多にあることではない。
 イルゼは少しの間迷ったが、彼らに事の顛末を話した。フィアを護ろうとして傷つき、彼女は連れ去られてしまった、と。
「――遅かったか」
 思いもしなかった言葉に、ついオウム返しに聞き返す。
「遅かった、とは?」
「言葉どおりです。もちろん、我らの予想が正しければ、ですが。
 できればその少女のことを、詳しく聞かせてもらえませんか?」
 乞われて、イルゼは話し始めた。路地裏に捨てられていたこと。とても弱っていたこと。不思議な石を手にしたとたん、元気になったこと。街を魔物が襲ったとき、魔法で退けたこと。荒れ狂う風から、自分たちを護ってくれたこと。そして、津波を食い止めたこと……。
「間違いありませんな」
「ああ、まず間違いないだろう」
 話を聞いた一行が、囁き交わす。
「あの、いったい何が」
 不安になったイルゼが訊ねると、こんどは一行のリーダが話し始めた。
「フィアというその子は、おそらく我々の一族に言い伝えられている、“人の守り手です」
「人の、まもりて……?」
 初めて聞く言葉だった。
 リーダーがうなずいて続ける。自分たちの一族には、災厄から人々を護る守り手が、生まれると言われているのだと。
「じつを言えばほんの十年ちょっと前まで、誰もがそれはただの言い伝えだと、思っていたのです。
 ある日、何かが囁き出すまでは」
 聞けば十年ちょっと前のある日、一族の占い師が一斉に、「守り手が生まれる」との暗示を受けたのだという。それは誰がどんなカードを引いても、どんな香を焚いても、すべて同じだった。
「それでも当時は、薄気味悪く思うものがいる程度でした。
 ところが十年前、一族のものが全員同時に、守り手が生まれたと感じたのです」
 さすがにこれは何かある、そういう話になり、守り手探しが始まった。
 言い伝えでは守り手は、一族の中に生まれるという。それなら最近生まれた子どもの誰かだろうと、片っ端から調べて回ったそうだ。
「けれどみな違いまして。
 散々悩んだ挙句、一族を捨てた誰かの子かもしれないということになって、捜索が始まりました」
 だがそれでも見つからず、いい加減諦めかけていた折に、今回のフィアの話を耳にしたのだという。
「それで、この家に?」
「ええ」
 津波を止めた少女なら、何かあるに違いない。そう思って訊ねてきたのだそうだ。
「一歩、遅かったようですが」
 本当にそうだと思う。ほんの少し早く来てくれれば、ニールもフィアもこんなことに、ならなかったかもしれない。
 そこへ、魔法医が戻ってきた。
「どうした?」
「いま出来ることは、すべてしてきました。ですが、秘薬が足りません」
 魔法医の話ではニールは、いま急に死んでもおかしくないほど、危なかったらしい。
「その場で応急手当がされたのと、そのあと医師が続けてきちんと診ていたために、どうにか生きていられたのでしょうね」
 今は魔法で強引に、命を繋ぎとめているのだそうだ。ただそれはあくまでも「繋ぎとめている」だけで、治すには至らないのだという。
「治すには特殊な結界を張り、その中にしばらく居ないとなりませんが、その結界を描くときに使う霊液が……」
 それがなくては、どうにもならないらしい。
「インクか何かで代用できないのか?」
「ペンのインクと、いっしょにしないでください」
 つまり、ダメなのだろう。
「なら、家の者に持ってこさせては?」
「その間に、あの少年が死にますよ。
 ともかくこの街の魔道士ギルドに行って、掛け合ってきます。ただこの被災状況だと、使いきっている可能性が高いので、手に入るかどうかは」
 八方ふさがりということのようだ。
 要するに、その霊液とやらがあれば、いいのだろうが……。
「――あっ!」
 思い出して、思わず声を上げる。
「どうされました?」
「その、使えるかどうかわかりませんけど、見ていただけませんか? 両親の残した秘薬が何種類か、あるんです。その中に、もしかしたら」
 遺産の秘薬を取り出して、並べてみせる。
 ひとつひとつ検分していた魔法医の手が、止まった。
「あった! これならどうにか使えます」
 魔法医が喜びの声をあげ、ニールの部屋へ戻っていく。その背へイルゼは、思い切って声をかけた。
「あの、私も行っていいでしょうか?」
 邪魔になりそうな気がして遠慮していたのだが、やはり弟のことが心配だ。
「脇で見ているだけなら、大丈夫ですよ。どうしても困る場合は言いますから、そのときだけ出ていただければ」
「すみません」
 部屋へ入るとすぐ、魔方陣を描く作業が始まった。先ほどの秘薬と魔法医の手持ちを合わせて、インクのようなものが作られ、それで部屋の床に紋様が描かれていく。
「一区切りついたら言いますから、ベッドを中央に移してください。そのあと、残りを描きますので」
 作業が着々と進み、ニールが寝たままのベッドが動かされ、さらに周りが描かれた。
 最後に、全員が部屋から追い出される。
「結界内によけいな人が居ると、上手くいきません。ドアは開けておきますから、見ていてかまいませんよ」
 言って、魔法医が長い長い呪を唱え始める。
 それに反応して、床に描かれたものが徐々に光りだし、呪が終わるとともに霧散した。
「どうぞ、もう入って大丈夫です。この結界は、出入りは自由ですから」
 おそるおそる入って、弟のそばまで行く。
 先ほどまでとは違って、頬に少し赤みが差していた。
「しばらくすれば、目を覚ますでしょう。
 ただ、起きられるようになってからも、しばらくはこの中に居てください。短時間なら結界から出てもかまいませんが、なるべく早く戻るようにお願いします」
 魔法医がいろいろと注意する。
「あの、それはなぜですか? 動けるようになれば、もういいのでは?」
「それがダメなんですよ。
 あれほどのケガで、弟さんは生命力を使い切っています。それをこの魔方陣は、戻す力があります」
 つまりここに居れば、癒されていくのだろう。
「ですが外へ出てしまうと、生命力は生きているだけで削られていきます。それがまだ、弟さんには致命的なんです。
 完全に元に戻るには、最低でも半月はみてください。できれば1ヶ月は」
 魔法医の言葉に改めて、どれほど危険だったかを思い知る。
「気をつけたほうがいいことを、あとで書いておきますね。
――おや?」
 部屋を出ようとした魔法医が、足を止めた。
「これは?」
 視線の先は、ニールの手にあるペンダントだ。
「フィアが……いえ、連れていかれた女の子が、持っていたものです。最後に弟に、渡していきました」
「なるほど」
 握り締めて放さないそれを、魔法医が調べる。
「ああ、やはりそうですね。
 これは私たちが慈悲石と呼ぶ、癒しの効果がある珍しい石です」
「じゃぁ、それで死なずに?」
 言ってから、しまったと思う。ニールが死なずに済んだのは、何人もの医者が関わってくれたおかげだ。
 さすがに自己嫌悪に陥ったイルゼの肩を、誰かが叩いた。
「きっとそうだろうね。
 本当に、いつ死んでもおかしくなかったんだ。フィアの慈悲石がきっと、ニールの命を支えたんだろう」
 いつの間にか隣に来たドクターが、優しく言う。
「私もそう思いますよ。正直手当てをしながら、いつ心臓が止まるかと、ひやひやしていましたから」
 魔法医も口を揃え、医師二人にフォローされたイルゼは、ますます恐縮した。
 そこへ、まったく別の声がかかる。
「私にも、見せてもらえないか?」
 一行のリーダーだった。
「あ、はい、どうぞ。ただあの子、握っていて放さないんです」
「よほど大事なんでしょうな」
 言いながらリーダーはベッドに近づいて、しばらくの間ペンダントを眺めたあと、自分の懐をまさぐった。
 取り出されたのは――やはりペンダント。
 石の大きさも、台座も、鎖も、それどころか細工までが、まったく同じだ。
「これは……?」
「私のは、母の形見ですよ」
 それと同じということは。
「母には、一族を捨てた妹がいたそうです」
 その言葉が、すべてを物語っていた。
「本当に、もう少し早ければ……」
 そうすればフィアは無事この一行に保護され、ニールも怪我をせずに済んだのかもしれない。
「その少女は、王都へ連れて行かれたのですよね?」
「はい」
 まさか王国軍を名乗り、陛下の名を騙っていた、ということはないだろう。
「でしたら我々は、これから王都へ向かいます。いろいろと話を聞かせていただいて、助かりました」
「え、でも、私たちは何も。それどころか、弟まで治療していただきました。せめて、何か」
 言いかけたイルゼを、一行は制す。
「あまり時間がありません。早く王立軍を、追いかけねばなりませんから」
 こう言われてはそれ以上言えず、慌しく発つ彼らを、見送るだけだった。
 走竜の背にまたがる彼らの姿が小さくなり、丘の陰へ消える。
「中へ入ろう。あまり風に当たらないほうがいい」
 ドクターに言われて、部屋へと戻る。
 ニールは、前よりはだいぶ良さそうだった。あれほど顔色も悪くないし、触っても冷たくない。
「よかった……」
 安堵しながら手を伸ばしかけたとき、弟が小さくうめいて、薄く目を開けた。
「ニール!」
「あね、き……?」
 かすれた声で、だがしっかりとそう答える。
「まだ起きないで。死ぬところだったんだから」
「死……?」
 目が覚めたばかりで、記憶がはっきりしないのだろう。ニールはぼんやりと考え込む。
 だが次の瞬間、彼の表情が変わった。
「姉貴、フィアは?!」
 やはり、と思った。弟にとってフィアは、既にそういう存在だ。
 だが、答えられない。
 ニールは黙ってしまった姉の様子と、手にしていたペンダントから、状況を察したようだった。
 彼の表情が沈む。
「あのね、ニール」
 少しでも気休めになればと、イルゼは先ほどまでいた、一行のことを話す。
「じゃぁ、フィアのヤツは……」
 弟の言葉に、彼女はうなずいた。
「人の守り手というのが、なんなのかはよく分からないけど。でもあの人たちのところに生まれていたら、とても大事にされてたと思うわ」
 本当に、気の毒な子だと思う。
――どうしているのだろう?
 ただでさえ弱っていたのに、行った先で酷い扱いを受けていないか、それだけが心配だった。
 あの一行に引き取られるか、せめて大事にされていてほしいのだが。
「ともかくあなたは今は、身体を治さないと」
「あぁ……」
 答えるニールの表情に、イルゼは不安を感じた。
 弟は……行ってしまうのではないだろうか?
 いや、行くのは構わない。こんな姉の面倒を見続けるより、もっと自分のしたいようにするべきだ。
 だが、治りきらないうちに出て行ってしまいそうで、それが気がかりだった。
「ドクター、呼んでくるわね。何か食べたいものある?」
「んー、のど渇いたな」
「分かった、何か持ってくるから」
 そう言って、ドクターを呼びに行く。
 ついでに自分の心配事を、ドクターに伝えるのも忘れなかった。
「そうか、確かにその可能性はあるな。気をつけないと」
 ただ、何をどう気をつければいいのかは、二人にもよく分からなかった。
 目を離さなければいいのだろうが、現実にはムリだ。ドクターは先日の惨事で街に大量の怪我人が出ているため、何かと呼び出される。その間はイルゼが留守番だが、常に見張っているわけにはいかなかった。
 要するにニールがその気になれば、いつでも隙を突いて、出て行けてしまうのだ。
「ともかくあの子に、部屋を出たら危険なこと、よく言っておかなくちゃ」
「そうだね」
 どれほどの効果があるかは分からないが、言えば魔法医の言っていた半月くらいは。そのときのイルゼは、そう思っていた。

 ニールの回復はめざましかった。翌日には起き上がれるようなり、翌々日には立てるようになった。
 今はもう、日中はほとんど起きている。
「よかった、良くなって。でもほんとに、ここから出ちゃだめよ?」
「分かってるって。俺も死にたくねーもん」
 平然とそんな軽口まで叩く。
「それより姉貴、雨だいじょぶか? なんか降りそうじゃん」
「あ、いけない。今のうちに洗濯物、入れておかないと」
 今にも雨が落ちてきそうな曇り空に、慌てて外へ出る。
 洗濯そのものは、ドクターとの共同作業だった。ほんとうならぜんぶ自分でやりたいのだが、長時間力仕事をやっていると、倒れてしまう。
 それが申しわけなくて、イルゼは極力、こういったことをやるようにしていた。
 陽の匂いとまではいかないが、乾いたシーツや何かを、順番に取り込んでいく。
「これでよし、と」
 まとめて入れた洗濯カゴを持って戻り、イルゼは奥へ声をかけた。
「ニール、何か少し食べる?」
 だが、答えはない。
――嫌な予感。
 慌てて部屋へ行くと案の定、ニールの姿はなかった。
 机の上にあの、貴重品が入った袋が置いてある。それと、たどたどしい「ゴメン」の文字。
「ばかっ!」
 言い捨てて、外へ飛び出す。
 だが、ニールは見つからなかった。

◇Fia side
 何も変わらない、フィアはそう思った。
 ニールに拾われる前、あの思い出したくもない館にいた頃と、大した差はない。貸し出されないのだけは良かったが、自由がないのはいっしょだ。
 窓辺にある椅子にかけ、遠い空を見る。
「ニール……」
 思うのはそればかりだ。
 それまでのどことも違う、自分を自分として扱ってくれた場所、人。この期に及んでなお、帰りたくてたまらない場所。
 ただ身体のほうは、王宮へ来てからだいぶ良くなった。王の命令ということもあるのだろう、高価な薬湯や魔法薬が惜しみなく使われ、起きていられるところまで回復している。
 下を見ると、たくさんの人でごったがえしていた。
 数日前を思い出す。あの日はまだ立つのがやっとで予定の謁見は出来ず、王が部屋へ出向いてきた。そして王に抱かれてバルコニーへ連れ出され、集まっていたたくさんの人々に、「この国の守り神」と紹介されたのだ。
――そんな力、ないにも関わらず。
 眼下から沸き起こった、うねりのような歓声を覚えている。それはあまりにも熱狂的で、恐怖を感じるほどだった。
 若くたくましいこの国の王は、野心家だ。
 前王の頃からこの国は拡張の一途で、周囲の小国を滅ぼし、あるいは吸収してきた。それは今の王にも受け継がれ、さらにスピードを上げている。
 自分をここへ連れてきたのも、その一環だということを、フィアは理解していた。昨日、王に呼ばれて行ったときも、その話だった。
 何ごともストレートな王は、フィアにそのものずばり言った。「軍の先陣に立って、敵を一掃するように」と。
――出来るわけがない。
 何かを護ることに使うならまだいいが、何かのために壊し殺すことなど、フィアには出来なかった。あの津波のときも、ニールとその姉やドクター、そういった人や街を守りたかっただけだ。
 だから「力などない」と、首を振ったのだが……王が納得したようには見えなかった。側近が何か耳打ちしてその場は収まったが、不穏なものを感じる。
 このまま何も起こらないでほしい、そんなことを考えるフィアの耳に、ドアをノックする音が届いた。
「どうぞ……?」
「巫女様、失礼します」
 遠慮がちに、だが毅然と、男性が部屋へ入ってきた。たしか王の側近で、文官だ。
「陛下がお呼びです。お目通りを」
 この城で王に逆らうのは、不可能と言っていい。渋々ながらもフィアはうなずいて立ち上がり――危うくよろけて倒れそうになった。
「巫女様?」
 問いかけた文官に、うなずいてみせる。侍女がその様子に人を呼び、けっきょく抱かれて移動した。
 だが移動する道筋に、何か嫌な冷たさを覚える。
「あの、どこへ?」
「城の広場ですよ」
 なぜ広場なのだろう、そう思いながら連れて行かれた先に、王と側近たちが待っていた。
「巫女様、昨日と答えは同じですかな?」
「え?」
 側近の言葉に、何のことか分からずに訊き返す。
「この国に、協力する件です」
「それは……」
 Yesと答えられず、視線をそらす。
「そうですか。これ以上逆らうなら、仕方ありません」
 そんな言葉が聞こえた瞬間、王の隣にいた武官のこぶしが動いた。避ける間もなく、お腹に重い衝撃が走る。
 薄れる意識の中で思い出す。この国の王は若く野心家なだけでなく、ひじょうに気が短いという話を。
 昨日は側近が何か言ってくれたので穏便に済んだだけで、王が満足する結果を出さない限り、遅かれ早かれこうなったのだろう。
 いや、最初から何かするつもりで、そのために昨日を穏便に済ませただけかもしれない。
――なぜ。
 その言葉が頭を占める。
 人はそれほどまでに、すべてを手に入れなければならないのだろうか?
 そのためには、どうやっても出来ないことの拒否さえ、許されないのだろうか?
 何かがぷつりと、切れた気がした。

 次に目が覚めたときは、広場の中央だった。
 視界に違和感を感じる。それに身体が上手く動かせない。何より、熱い。
 何とかならないかと手や足を少し動かしてみて、フィアはようやく気づいた。
――自分が縛り付けられていることに。
 高い柱の上部に、がっちりとくくりつけられている。ちょうど足の高さに作られた、台の上に立たされているので、吊り下げられて苦しいということはない。だが後ろ手にされた手はもちろん、胸から下には何ヶ所も、きつく縄が回されていた。自由なのは、首から上くらいだ。
 加えて足元で、積み上げられた薪がくすぶっていた。
 血の気が引くのを感じながら、周囲を見回す。
 自分を見上げる王と、何ごとかを観衆に叫ぶ側近の姿が目に入った。
「この娘は自分を『巫女の末裔』と偽り、王へ取り入った。
 神話の時代より伝わる『巫女』は神聖なものであり、これを汚すことは許されない! また王に取り入り、この国を揺るがそうとしたことも大罪である!」
 合わせるように、周囲から罵倒の声が飛ぶ。ほんの数日前、歓喜の声をあげたことも忘れて。
 いや、忘れていないのかもしれない。だからこそ逆に、狂ったような罵声を浴びせ、野次を飛ばし、この様子を楽しんでいるのかもしれない。
 王と目が合った。その表情が語る。『我が物にならないのなら、他国に利用される前に処分する』と。
 起こることすべてに諦めで対処してきたフィアの心に、何か違うものが入り込む。
 薪にまとわりついていた炎が、一気に燃え上がった。
 焔が高く舞い上がり、長い衣の裾を舐める。立たされている台が焼け始める。
「いや……」
 初めての、抵抗。
 衣の裾に炎が燃え移る。
「いやぁぁぁぁっ!」
 光が奔り、炎もろともすべてが吹き飛んだ。


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